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7月に入会しました会員番号230番の高橋亮介です。
8月25日に石川県珠洲市で行われました珠洲トライアスロンについてレポートしたいと思います。
この大会はAタイプとBタイプに分かれていて私はAタイプに出場。
これまでに知人が出たりしていたのでなんとなく楽しそうだなあ、と思っていました。
ただ、「バイクの坂がとにかくきつい」とびびらされていたので制限時間の9時間20分に間に合うのか・・・ということは不安でした。
スイム(2.5km)
5分おきに3つのウェーブに分かれてのスタート。
第1、第2、第3のどこでスタートしたいかは希望すれば対応してくれます。
私は「遅くスタートしたら制限時間がそれだけ短くなるのでは・・・」と勘違いして第1ウェーブでスタート(実際はそんなことはありません)。
スイムのコースは行って折り返すコース。
折り返し地点にでかいブイがありますし、途中にもブイがたくさんあって泳ぎやすいです。
さらに復路ではブイとブイの間を泳いでいくので安心。
さらに今年は青トラでオープンウォータースイムを経験していたので安心感がありました。
途中で第2、第3ウェーブの人に抜かれるも(スイムに自信のない人は第3ウェーブにするべきだったのでしょうが・・・)1時間11分ほどでスイムアップ。
バイクラックに向けてヘロヘロと歩いているとBタイプ出場予定であるマラソンチームの仲間(青トラに来る前は某マラソンチームに所属して練習していました)から「走れー!!」という声がしました。正気を取り戻してバイクラックへ。
バイク(101.3km)
バイクコースは同じコースを2周するコース。メインの「大谷峠」という激坂のほか(約35・85km地点位のところがピーク)のほかに2,3つほどの坂あり。海沿いのため、坂でないところはフラットで結構なスピードが出ます。この大会は途中のエイドステーションで停車もしくは超減速して受け取るのですが序盤は勢いで通過していました。補給食は持っていたのですがどのエイドステーションで停車するかは少し頭を使うところかもしれません。走行しているうちに沿道から「大谷峠がんばってください!」との声が聞こえたのでここで気持ちを切り替えます。しばらく登っているうちにエイドステーションがあり、この付近だけ少し平らな部分があるのでここで終わりかと錯覚してしまいます(でも上りの途中でエイドがあるのはありがたいです)。エイドを出た後12%の激坂を登って峠は終了。ここから一気に下ります。実は下りに苦手意識を持っていて、7月に青トラ主催の鹿島槍での合宿があったのですがかなりびびりながら降りていました(苦手な部分と向き合えました)。そこから下り対策としてヤビツ峠や箱根などに行ったりしていました。この坂を下ってからはそれほど大きな坂もなく終了。5時間7分ほどでバイクアップ。
ラン(23.2km)
このランはとにかく苦しかったです。コース自体は平坦なのですが、とにかくペースをあげられなかったです。当初は7分/kmでいけるかと思っていたのですが、8分/kmからまったくペースをあげられずに折り返し地点を通過してしまいました。このままのペースで行くと計算上は制限時間の9時間20分ちょうどでゴールする、といった状況でいくらがんばっても貯金が作れないといった状況でした。不安を抱えながら走っていたところで14km地点で学生時代に所属していたチームの先輩に車中から声をかけられました(Bタイプに出場しており、すでにゴールしていました)。「まだ最後尾の車はずっと後ろにいるからいける!」と応援をもらいました。この応援で7分/kmにペースをあげ、以降は1分/kmずつ貯金を作ることができ、9時間11分と貯金を9分作ってゴールすることができました。(ランのタイムは2時間52分)
まとめなど
こうして今年のメインレースである珠洲トライアスロンを完走することができました。
私は学生時代も少しトライアスロンをしており(とはいっても成績を残せる選手ではなく、年に1回くらい距離の長いレースに出て完走することを目的としていました)、社会人になってからも続けたいと思い、レースには細々と出ています。これまでマラソンや自転車、水泳の練習会にはいろいろと探して顔を出していたのですが今回青山トライアスロン倶楽部を見つけることができ、同じトライアスロンをやっている仲間を見つけることができたためモチベーションをあげることができました。まだクラブに入って間もないですが今後も皆さんと練習会やレースに参加していきたいです。
【BOSSからのおまけ画像】
青トラウェアを着て初めてのレースで
総合12位、年代別1位に輝いた、ITUデュアスロン世界選手権2013
U-23銀メダリスト高橋夏美選手の雄姿です。
11/20(水)にTrack Run 夏美と激走!織田フィールドイベントがありますので
お楽しみに!
2013年9月に入会したばかりの遠藤昌矢(Endo Masaya)です。
10月20日(日曜)開催の2013 紅葉チャレンジトライアスロン・デュアスロン in 北川辺のトライアスロンA (Swim0.6km-Bike30km-Run5km)に参戦してきました。
今回は冬(2月)にスキーで足首を骨折して以来の復帰レース(2013年はこれが最初で最後)となったため、どの程度動けるようになったかを図る上でいい機会でした。
当初は足が全く使えなかったため、春はスイムで軽く上半身を動かす程度でした。夏からバイク再開、9月からやっとランを5km以上走っても違和感がなくなるまでに回復しました。
ので、大会までの最後の1ヶ月は青トラの練習会を中心になんとか頑張って準備完了、という状態をなんとか作ることが出来ました。
レース当日はちょっと残念なことに”ずっと雨&寒い”というコンディションでしたが、小学生の部門から無事に開始されました。
正直、小学生は可愛らしい感じだったのですが、父親の皆さんの気合いの入り方が凄くて(殺気立ってました)、ちょっとビビりました。。。
トライアスロンAは10時半スタート
・スイム 600M
1?6ウェーブまでが30秒ごとにスタートし、第4ウェーブだったんで結構前が混んでいていたのに苦労しました。また150Mの折り返し2往復なので、ちょっと大回りしてでも人がいないところを泳いだ方が早かったかもしれないです。
最後の150Mくらいでやっと肩周りの調子が出てきましたが、すぐに上陸
・バイク 30km
雨は次第に強くなってきていたので、コーナーでの落車だけは気を付けて周回。久ぶりにDHバーを握りましたが、意外としっくりきたのでマイペースで巡航できました!
・ラン 5km
今年は9月まで全く走っていなかったこともあり大幅減速(泣)。調子の良かった時期のランのイメージとは程遠く、本当に体が重い!!と感じながら走ってました。当然ならが、ドンドン抜かれていく始末で、なんとか持ちこたえましたが、走りながら冬のマラソンシーズンに向けて、毎日10km走ろうと固く誓いました(笑)。コースは水たまりがかなりあり、トラックの障害物レースのようにバシャバシャやりながらのランでした。
全体的にはスタート直後まで、車内でゴロンと雨宿り&寝ていたため、各種目の出足でスピードに乗り切れなかったのが反省です。スプリントディスタンスなので、雨でもちゃんと準備運動&アップは必要ですね。以後、気を付けます。
レースの結果は
・全体 : 26位/131人中
・年齢別(30?39歳) : 5位/31人中
ということで、復帰戦にしてはそこそこ頑張りました。
来年は必ず年齢別で表彰台、全体でも上位5%には入れるよう冬場から頑張ろうと思います!
青トラ入会前は、練習及びレースへの参加も一人でやることが多かったのですが、やはり仲間と競い合うように練習し、みんなでレースに出たいという気持ちがありました。
(自分の力でロングディスタンスを完走するというよりは、練習会やレースで他人と競い合って少しでも上位に食い込むことにモチベーションを感じる方なので)
都内で初級者でも参加できそうで、スイム&バイク&ランの練習をバランスよく主催しているのは青山トライアスロン倶楽部くらいだったので入会を決めたのですが、それ以外にも、
・初心者?上級者までレベル帯が広く、自分にあった練習内容や競技仲間と出会える
・練習会以外の楽しいイベントやオフ会/飲み会などが頻繁に開催されており、とにかく楽しい
・大会やレースにも仲間とともに参戦できるため、お祭り的にかなり盛り上がる
等のおかげで当初の想像以上にエンジョイでき、無事早い段階でレースの復帰戦を果たすことが出来ました。
また、本大会の運営にあたりボランティアで協力されていた青トラメンバーの阿部さん、及びトーシンの河原コーチ&今井コーチ、寒い土砂降りの中、本当にお疲れ様でした&有難うございました。
今後ともよろしくお願いします!!
2013 紅葉チャレンジ リザルト
10月から青トラでお世話になっている土門です。
こんな順番で自己紹介します。
1.ドラマのような自己紹介-青トラ入会まで
2.青トラ効果
1.ドラマのような自己紹介-青トラ入会まで
僕は2004年右足太もも膝近くに骨肉腫(簡単に言うと骨のがん)を発病しました。この病気は年間100万人に1人の割合で発病する可能性のものらしく、病気の内容を理解したとき、人生のどん底でした。
抗がん剤治療+外科手術で腫瘍を取り除く厳しい現実が待っていました。
抗がん剤が効けば助かる可能性があるけど効かないこともあったり、
腫瘍ができた右足は残せるのか?それともを切断しなければならないのか?など、
もうびっくりするような話の連続です。
幸い、右足は残ったのですが、その代わりに右足太ももの筋肉と骨を失いました。そして、骨の変わりに金属の人工膝関節を入れることになりました。手術後、自分の足を見て絶望もしました。
また、骨肉腫はいわゆるガンなので、悪い部分を取り除くだけでは治ったかどうかわかりません。そこで、他に転移しているかもしれないガンを体から消し去るために、抗がん剤治療を行います。これは時間がかかりました。毎日、病室の窓から外をみて、曇っていいなぁ?、そら飛べないかなぁ?など色々考えたり、絶望したりと大変でした。
長い期間の抗がん剤治療とリハビリを行うことで、退院時は杖を使って歩くことができるようになりました。
しかし、僕の人工膝関節は機械の制限から膝が90度以上曲がらず、階段の下りに苦労したり、満員電車に乗ることができなかったりなどごくごく普通の生活も大変でした。
無事に退院し、生きているだけでも幸せなのですが、
どうしても自分が障害者になったという現実を理解できず、毎日葛藤していました。ある日、横になって天井を見ていると「なぜ自分が」と考えてしまい、涙があふれてきたこともあります。
こんな毎日では、心の病気になってしまいます。
そんなとき、こんな考えが出てきました。
障害者なら→パラリンピック出場できるよなっ→これで一番になれば納得するかも!
僕は高校で競泳、大学ではライフガードをやっていたので、早速競泳を始めることに決めました。
日中の空いている東京体育館でちょっと泳いでみると、右足が沈んでいきます。筋肉が少ないため、片足だけ沈むんですよ。それでも、初めて泳いだときはものすごく嬉しかったです。
練習を重ねることでジャパンパラリンピックに出場するところまで着ました。
しかし、北京パラリンピックの選考会で障害者のクラス分けを受けたところ、「君は健常者なので世界大会に出場することができない。」と言われました。
パワーがありすぎて、障害者の枠から外れてしまったそうです。これって嬉しいことですが、競技者として道が閉ざされてしまい、怒りだけが残りました。
これまで努力していたことが全て無駄になった瞬間でした。
しかし、こんなことを引きずって人生を過ごすのは、それこそ心の病にかかってしまうため、次の可能性に挑戦しました。
僕は社会人になってからトライアスロンを始めていて、年に2,3回ショートのレースに出場していました。これからロングの大会に出場しようかなと思ってところで病気となってしまったため、いつかはトライアスロン復活を考えていたのです。
まずは自転車に乗れないとトライアスロン復活ができません。しかし、右足が90度以上曲がらないため、通常の170mmクランクだとサドルを目いっぱい上げても、ペダルを漕ぐことができません。片足ペダルやその他いろいろ試行錯誤した結果、右足クランクの130mm付近に穴を開けることで、自転車に乗ることができるようになりました。
もう二度と自転車に乗ることができないと心の中でずっと思っていたので、再びロードレーサーに乗ることができたときはものすごく嬉しかったです。
僕の右足はペダルを踏んだり、ランで蹴りだしたりする大腿四頭筋がほとんどないので、実際は片足でペダルを踏んでいる状態に近いのですが、練習を重ねていくと少しずつスピードが上がってきます。人間の適応能力って凄いですね。残っている筋肉がうまく使われる感じです。
自転車がある程度乗れるようになったので、あとはランができればトライアスロン復活が現実になります。
でも、ランは一生やらないと決めていました。
それは、僕の人工膝関節は日常生活用であり、走るためのものではないからなのです。「ラン=人工膝関節を壊すこと」なので、我慢していました。また、実際に走ろうと思っても筋肉が無いので右足を蹴りだすことができませんでした。
そんな状況でも2008年にたかはらやまトライアスロンにショートで復活しました。
スイム、バイクはいつも通り、ランはノルディックウォーキングのストックを使って歩きました。この復活は満足でした。
2011年11月頃、偶然JTUのサイトでパラトライアスロンという言葉を見つけました。障害者のクラス分け基準を見ると、自分の障害でも参加資格がありそうです。このときはものすごく嬉かったです。なんか何でもできそうな気がしました。そして、その場で翌年のレース出場を決めました。
レース出場を決めたのはいいけど、ランはどうする?
まだ1年ある。
駄目もとで練習してみるか。(当時は「今でしょっ!」って感じでした。)
すぐに、家の近くで走る真似をしたのですが、せいぜい20m真似るだけで全身疲労でもう限界。パラトライアスロンでは5km走りますが、とてもじゃないけど難しい。先がまったく見えないところからの出発でした。
あと、右足を壊さないために、衝撃を加えない走りはどうやるの?
僕と同じ状況でランをやる人はまずいないので、誰にもアドバイスをもらえません。試行錯誤しながら練習を重ねていきます。右足つっかえ棒走法(イメージ伝わるかな?)でビッコ引いて走るような走法を考え、2012年4月にはゆっくりですが、皇居一周ができるところまで着ました。
そして、9月に念願のパラトライアスロンデビュー。
スイムもバイクも当時の力ではまあまあ、そして、ランでは息が思いっきり上がってしまい、思うように動かなかったのですが、歩かず走りきってゴール!!
できないと思い込んでいたランがでレースでできるようになった瞬間でした。
この1年後、ロンドンのグランドファイナルに参戦した際、関口さんと練習について話をしたことが青トラ入会のきっかけとなりました。
これまで、1人で練習をしていましたが、はっきりいって楽しくはなかったです。客観的に僕の動きを見てアドバイスをもらうこともなかったり、1人ではどうしてもできることに限界がありました。ロンドン大会終了後、すぐに青トラに入会し、10月から練習に参加しています。
2.青トラ効果
練習効果が早速結果に結びつきました。
10月12日-14日にかけて、全国障害者スポーツ大会(障害者国体)が開催され、僕は東京都の競泳代表として25m自由形、50m自由形に参加しました。
ロンドンのレースが終わってからはほとんど泳いでいませんでしたが、神宮外苑のバイク練習で背中の筋肉を使った動きを河原コーチから教えてもらうと、競泳で相乗効果がありました。
これまで、競泳の短距離で練習不足の場合、水がスカスカで空回りな動作しかできなかったのですが、今回は背中の筋肉から大きく動くイメージで、思ったほど悪くなく泳ぎきることができました。
初日の25m自由形はタッチの差で2位、2日目の50m自由形は1位を取ることができました。
初日レース後の夜は青トラシークレットパーティーでちょっとだけ多めに飲んだのですが、これも50mの結果に結びついたのかもしれません。冗談みたいな本当の話。
3.今後
これまで自分が障害者になったという現実を納得するため、レースなど一番を目指し、人類最強の人工関節使用者を目指すことだけを考えていましたが、青トラ入会がきっかけでレース以外の楽しみも増えていくような気がしています。きっとこれからもいいことが続いていくと思います。
皆さんよろしくお願いします。