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トライアスロンデビューは2年前。
2013年のホノルルトライアスロンで30歳の節目の記念に、一度きりと思ってチャレンジしました。が、ゴールした瞬間の達成感と楽しさで、今までにないほど充実した経験をしてしまい…もう一度味わいたい!と続行を決意。 一度きりと思っていたのでバイクはレンタルで出ましたが、帰国してマイバイクを購入。
翌年にはセントレアIRONMAN70.3でミドルデビュー。
オリンピックディスタンスとはまた違う達成感で自信に繋がりました。
そして3年目。
トライアスロンを通じてたくさんの素敵な出会いがあり、そのパワフルな仲間たちの勢いに乗って2015年はIRONMAN JAPANにチャレンジしよう!と決意。
みんなが一緒なら、日本開催も最後かも?しれないし、こんなチャンスはない!と自分に言い聞かせて、「一度きりの記念に」と思ってエントリーしたのが2月のこと。
それからというもの、常に8月23日のことを考えていました。
考えてはいたものの、体調を崩してしまったり、思うようにトレーニングができずに気持ちばかりが焦っていましたが、仲間たちが頑張る姿に刺激をもらって、私も動き出さなくちゃ!と思い、スクールを検索。
トライアスロンのスクールは早朝レッスンが多い中、私の生活スタイルでは平日の朝レッスンは難しく、夜に通えるところを探していたところ、「青山トライアスロン倶楽部」に出会い、5月に駆け込みました。
青トラは、朝も夜も土日もトレーニングがあり、フレキシブルに参加できるのが自分の生活スタイルに合っていて良かったです。アイアンマンに挑戦することを伝えると、コーチからレースに向けたご指導を頂けたり、ベテランの皆さま方からもアドバイスを頂きました。
基本的に平日の夜スイムのレッスンに参加させて頂き、休みの日はラン、バイクに充てました。
そして迎えた、2015年8月23日 ?IRONMAN JAPAN
5月に青トラの仲間入りをさせて頂いてから、限られた時間ではありましたが、やれるだけのことはやってきた!そんなことを思ったら、スタート前に洞爺湖に昇ってくる朝日を眺めながら涙が出てきました。
アイアンマンレースはスタートラインに立つことが素晴らしいことだ、と聞きますが、振り返ると、まさにそのとおりだと思いました。ここに来るまでの道のりにとても意味があったと思いました。
<SWIM>
湖を泳ぐのは初めてで、浮かないとか、洞爺湖は水深が深いから怖いとか、様々な評判を聞いていましたが、波がなく穏やかで、透明度も高く、いつも青トラのレッスンで泳ぐ長水路を泳いでいる感覚で、とても気持ちよく泳ぐことができました。
過去に2度過呼吸になった経験があり、不安はありましたが、これまでのスイム練を思い出して、落ち着いて順調にスイムアップ。
<BIKE>
3種目のうち、1番苦手でありながら、今回はコースが変わったということで色々な情報が飛び交い、ますます不安は募るばかり。
練習ではとにかく登りを多く取り入れてトレーニングをしてきました。
バイク序盤から内臓に異変が起こり、早くもロングの洗礼を受けてしまいました。
そして、噂通りの果てしなくアップダウンの続くコース。
後半は制限時間との闘いでした。
過酷なコースに加え、容赦なく降り出す雨に何度も心が折れそうになりましたが、とにかく諦めずに前へ!とがむしゃらに漕ぎ続け...なんとかランへ繋げることができました。
<RUN>
走れる嬉しさからか、想像以上に足が軽く走り出せました。
とはいっても、初めからひたすら登り。足を使いすぎないように、と歩いたり、走ったり、繰り返し。
間もなく、日も暮れ始め、気温も下がり、寒気が襲ってきました。
内臓も不調のまま思うように補給もできず、後半は足も攣り始めたり、と1番好きなランでしたが、苦しかったです。それでも、ゴールを目指して一歩一歩進み続けました。
ゴール会場が近づき、仲間の顔が見えると、苦しさなどすっかり忘れていました。
そして、フィニッシュの瞬間は、「感謝」の気持ちでいっぱいでした。
もちろん、走りきった達成感もありましたが、本当に一人だけの力でのゴールではないことを実感しました。
このチャレンジに際して、本当にたくさんの方々に支えてもらいました。
挑戦のきっかけをくれた仲間、一緒にトレーニングして共に挑戦した仲間、ご指導頂いたコーチ、
応援してくれた仲間・友達、理解ある職場、体のメンテナンスをしてくれる先生、いつも支えてくれる家族、そして、素晴らしい舞台を用意してくださったIRONMAN JAPANに感謝の気持ちでいっぱいです。
「一度きりの記念」のアイアンマンではありましたが…私のRoad to IRONMANはまだ続いているのかな?
これまでずっとやりたいと思いながら、なかなかハードルが高くて踏み切れなかったトライアスロンへの挑戦。
ここ5?6年ほどロードやトレイルのランニングに取り組んできましたが、だんだん記録も頭打ちになり、「新しいことに挑戦するなら、まだ体力のある今のうちだ」と思い、3月に一念発起。練習場所とメニューが多彩で、自由度が高い青トラの門をたたきました。(あと、チームウェアが格好いいのにも惹かれました。)
関口さんによる「初めてのトライアスロン」のガイダンスを聞いた2日後には早速入会。
よく分からないバイクの購入も、さまざまな付属品とともにセット購入することができ、楽でした。それにしても、「完成車」というのにペダルがついていないのにはビックリ。
これまでスイムもバイクも経験がなかったので、どの程度練習すれば大会に出られるようになるのか、全く分かりませんでしたが、夢は大きく3年でアイアンマン、とりあえず半年後までにオリンピックディスタンスの大会に出よう、と決め、8月23日の「うつくしまトライアスロンinあいづ」を当面の目標に定めました。
あとは練習あるのみです。一番の課題はスイム。はじめの頃は、クロールで50mを泳いだだけで息が切れ、とてもオリンピックディスタンスのスイム距離1.5キロを泳ぎきるイメージは持てませんでした。
「これはまず、泳ぎの技術を習得しないとどうにもならないな」と思い、青トラのBasic Swim練習会などで泳ぎ方を学ぶとともに、これまでの朝ジョグを朝スイムに切り替え、とにかく泳ぐ頻度をあげるようにしました。3月から8月の大会までに泳いだ日数は77日。だんだんと泳げる距離が伸び、1.5キロを続けて泳げるようになったのは8月。ぎりぎり間に合いました。
また、大会に出るためには、ウェットスーツを着て泳いだり、オープンウォーターで泳いだりする練習も必要です。これには青トラのウェットスーツスイム練習会や、オーシャンスイム練習会がとても役に立ちました。
バイクも初めてでしたので、最初はお尻が痛いのと、足がペダルに固定されているのに慣れず、立ちゴケを繰り返していましたが、青トラのローラー台や実走の練習会に加え、休みに100キロ超のロングライドをこなすことで、だんだん走れるようになってきました。
さらに、練習として、7月にスプリントディスタンスの昭和記念公園トライアスロン大会に出場。背が立つプールでのスイムなので安心感があります。本番の半分の距離を1時間15分47秒で完走。種目間のトランジションの実践練習もできました。スイム、バイク、ランと尻上がりに順位を上げられたのもよかったです。
こうして自分なりに、できるだけの準備はして迎えた、うつくしまトライアスロン大会。
前日、車にバイクを積んで自宅を出発し、5時間ほどで前日受付会場の猪苗代湖天神浜に到着。受付開始時間まで時間があったので、スイム会場の猪苗代湖を試泳。湖なので波がないのかと思っていたら、結構、周期の短い波があって泳ぎにくく、不安になりました。
受付を済ませ、バイクを預託します。この大会はスタートとゴールが離れているので、選手は、スタート地点付近に泊まるか、ゴール地点付近に泊まるかを選ぶ必要があります。私は、ゴール地点付近に泊まることにしていましたので、前日にバイクをスイム会場のバイクラックに預けるのです。
それから、磐梯山を望むバイクコースを車で下見しながら、宿泊場所の会津若松に移動。あとは宿泊先で最終準備を整え、早めに夕食を食べて就寝しました。
そしていよいよ大会当日。4時半に起床し、ゴール地点の会津大学に向かいます。天気はあいにくの小雨。暑くないのは助かるのですが、バイクで濡れた路面を走るのは落車の危険が高まるので、気をつけないといけません。
ラン用品を預託して、6時に大会バスでスタート地点の猪苗代湖天神浜に移動。バイクラックで預託したバイクのセッティングを確認した後、ウェットスーツを手に持ち、スイムスタート地点まで裸足で歩いて向かいます。
7時半に入水チェックを済ませ、計測用のアンクルバンドを足首に巻いて、試泳。小雨ながら風はほとんどなく、湖面は前日とはうって変わって波もなく、静かです。よかった?。
8時から開会式。準備運動のエアロビクスの後、再度試泳。年齢別に3つのウェーブに分かれて、順次、沖合80mほどのスタート地点に移動。フローティングスタートですが、遠浅なのでスタート地点ではまだ足がつきます。9時から2分おきにスタート。私は最終の第3ウェーブで、9時4分にスタートしました。
スタート直後は、心臓がバクバクして、周りの選手がいろいろな方向に泳いでいる上、ヘッドアップしてもなかなかブイが見つからず、パニックになりかけましたが、一度、立ち泳ぎをしてしっかり方向を確認して、リズム重視で泳ぐようにしたら、徐々に落ち着いてきました。
スイムコースは、浜と平行に設置された440m間隔のブイを1周半して、あとは浜まで180mほど泳ぐコース。440×3+180で1.5キロになる計算ですが、これはあくまでまっすぐ泳いだ場合。私はバトルを避けようと、なるべく人の少ない外側を泳いでいだら、結局500m近く余計に泳ぐ羽目になりました(涙)
39分ほどかけてようやくスイムアップ。後ろを振り返るとあまり人がいません。まあ、でも、これで何とか完走はできそうだなと、ちょっとホッとしながら、水深の浅いところでウェットスーツを脱ぎ、肩にかけて、小走りでバイクラックに向かいます。
サングラスをして、ヘルメットをかぶり、バイクシューズを履き、給水と補給を済ませて、バイクを押して乗車地点へ。バイクパートのスタートです。
バイクコースは、最初こそカーブが多いですが、13キロ過ぎからは、下り基調の走りやすい道が続きます。あいにくの天気で、磐梯山は見えませんでしたが、のどかな田園風景に心癒やされ、沿道の声援に励まされて快調に進みます。平均時速は35キロを超え、バイクパートで120人ほど抜きました。
無事落車せずに40キロを走りきり、バイクをラックにかけて、ランシューズに履き替え、最後のランパートに移行。会津大学周囲を走る1周4.5キロのランコースに駆けだしていきます。
走り出しは、バイクの後なので、脚が思うように動きませんでしたが、それでも、ピッチ重視で淡々と走っていると、だんだんと走りの感覚が戻ってきました。折り返しのすれ違いで、青トラウェアを着た仲間を発見。「青トラ、ファイト!」と声をかけます。仲間を励ますことで、自分も励まされます。
そしてスタートから2時間37分16秒後にゴール!
念願のトライアスリートになることができました。
ゴール後は、ガリガリ君に加え、桃やスイカが食べ放題。着替えをして、13時40分から閉会式と交歓パーティ。トライアスリートたちの旺盛な食欲で、会津名物のソースカツ丼や夏野菜たっぷりのカレーが瞬時になくなりました。
最後に友好大会の宮古島トライアスロン大会への参加をかけたじゃんけん大会。残念ながら1回戦負けでしたが、いずれ自力で出場したいと思います。
トライアスロンを始めて、人生がこれまで以上に充実したものになりました。行き届いたサポートをしてくれた青トラには心から感謝しています。多くの新しい仲間との出会いにも恵まれました。まだまだ挑戦は続きます。引き続きどうぞよろしくお願いします!
8月23日(日)開催のアイアンマン・ジャパン北海道 参戦記
2014年のバラモンキング、2015年の宮古島に続き、3回目のロングディスタンス・レースで初アイアンマンにチャレンジしてきました。
振り返ると世界各地を散々転戦しているプロカテゴリーの海外有力選手が口を揃えて「This is the toughest course!!」とゴール直後のヒーローインタビューで語るほどの難コースだったようです。
それでは下記がゼッケン360番という一選手が体験したレース詳細です。
【Total time 12時間21分 総合239位】
<レース前日>
トライアスロンのロングレースはとにかく前日から忙しいかったです。
僕は朝からバイク&ランで軽く汗を流し、昼にはスイム会場での試泳やバイクチェックイン、夕方には補給食の準備と本番当日朝の支度とやることが一杯でした。
(他の方は車でコースの下見も行かれていたので、時間が幾らあっても足りません)
結局、19時就寝⇒3時起床の予定がずれ込んで、21時過ぎ就寝⇒3時半起きになってしまいました。すでにレースは前日から始まっていますね、、、
<レース当日:スタート前>
朝3時半に起床し、6:10の号砲までまたもや準備であたわた。ここでトラブル発生!!
・前日にもらったはずのアンクルバンド(計測チップ)がない
(ちなみに昨晩から見当たらなかったんですが、気にせず寝ました。笑)
・会場について、レースでは必ず装着しているカーフガードを宿に忘れたと気づく
特に、アンクルバンドはちょっと深刻で、、、DNSになりかねないので、急ぎ近くにいたオフィシャルに質問するも、的を得ない答えで暫くたらい回しにされ、なんとか再発行してもらえました。お陰でスタート前の集合写真にも間に合わず、スタート地点&時刻にギリギリセーフ!
ただ、こういうトラブルって特にロングのレースには付き物なので、実はそんなに慌てませんでした。カーフガードを忘れたことも、「あんなの気休めアイテムだから、効き目なんて元々ない」と開き直りました。
<スイム>
3.8km TIME 1:20
始めから思った以上に出遅れました。去年でも3.8kmは1:12?13が実績タイムだったのになぜか大幅なタイムロス、、、原因不明なんでとりあえず購入から8年ほど経過しているウエットスーツは買い換えようと固く決意!
北海道の洞爺湖のイメージよりは水温が温かく、波もなくて淡水!また、透明度も高いのでまさにちょっと大きなプールで泳いでいるという印象でした。
コース上のファーストブイまでは約800Mと結構遠く、途中の誘導ブイは相当横に流されていたので、エリート選手集団でさえファーストブイまではかなり右手へ曲がって泳いでいました。
もちろん、その後のエイジグループも曲がって泳ぐ中、選手の流れよりも距離を優先し、1人集団から外れ、まっすぐファーストブイを目指しました。
結果、距離が本当に短かったのかも不明ですが、ひとりで泳いでいるとやはりペースは掴みづらく、集団の傍でバトルを避けならが泳いだほうがペースアップできたかもしれません。
<バイク>
180km(獲得標高2000M以上の難コース) TIME 7:02
結果、このバイクパートでも引き続き苦しめられました。特にヒルクライムが最大の武器である僕としては、この難コースの登りでライバルに差をつけるはずでした。ただ大会1週間前からバイクの調子が悪く、結局当日本番でも登りで思った以上に回らない足と格闘し続ける羽目になりました。
バイク序盤、まずは洞爺湖湖畔を20kmほどフラットに快走。僕の場合、レース後半では食べ物を受け付けなくなるため、この段階で固形物(一口ういろう6個やグミ等)を積極的に摂取しました。
しかしこれが裏目にでたのか、いきなり腹痛発生!泣。いきなり食べ過ぎたのか、続いてエイドでもらったスポーツドリンクを摂ると、なぜかそれも体に合わず、飲むたびに腹痛がぶり返すという悪循環の繰り返しでした。
ただ、ハンガーノックだけは避けたいという思いから、嘔吐一歩手前のギリギリのところまでジェルを摂取し続けるという我慢のレース展開でした。
バイク中盤戦、本来見せ場であるはずの100km地点過ぎのヒルクライムも散々なパフォーマンスで、得意の登坂で他の選手にドンドン抜かれる展開に、、ここもひたすら我慢し続けました。
登坂が終わる頃、いよいよジェル摂取も厳しくなったため、持っていた味噌汁パックに手を伸ばす。ここあたりから僕の転機が徐々に訪れました!
バイク終盤戦、とにかく甘いもの以外という気持ちで味噌汁パックを摂取した途端、荒れた胃が治まり始め、甘さと腹痛でウンザリしていた気分も吹き飛ばしてくれました。また、中盤のエイドでは水しかなかったため、ちょっとミネラル/塩分不足が心配でしたが、それも合わせて一気に解消!。そこからは徐々にペースを上げていき、なんとかバイクでの大崩れを免れてフィニッシュできたのは不幸中の幸いでした。
今回の補給食の一番と当たりは『味噌汁パック』!感謝!
<ラン>
42.2km TIME 3:44 (自称:200人抜き!)
結果的に今回のレースの最大の見せ場がランに待っていた。レース前にランは4時間で走れれば大満足という気持ちだったが、それを大きく上回る好タイムがでた!
実はレース中はいつも一切時計を見ないし、自分が今キロ何分で走っているのかも全く把握せずに感覚で体と相談しながら走っています。実際3:44というタイムを知ったのも、レース翌日でした。
ランのスタート/序盤、ここではまず「このペースならずーっと走っていられる」くらいの抑え気味のペースで出発しました。ただ、見渡すと周りはバイク直後でとても辛そうな選手がほとんどで、気づくと軽自動車を抜くスポーツカーのように数十秒ごとにドンドン先行していた他の選手達を抜き去っていました。
ランの中盤、ここでも序盤のペースを一定に保つことだけを心がけながら、面白いくらいに前の選手を追い抜いていけました。とにかくランニングフォームとリズムを維持することだけに集中し、このまま37km地点迄行くことを死守しようという作戦でした。
ただ、やはり20kmを過ぎた地点から、もはやジェルも体が受け付けなくなり、エイドで炭酸飲料とスポーツドリンクだけを一杯ずつ摂取し、走り続ける展開になってきました。
ランの終盤、さすがに30kmを過ぎると徐々に足や体が重くなりペースが落ち始めるのを感じ始めました。ここはとにかく姿勢を維持し、手のふりと足を連動させ体全体をつかったストロークを心がけて、ひたすら耐え続けました。
そしてラスト5kmの37km地点、満身創痍でしたが、全てのリミッターを取り払い、何が起きても走りきる覚悟でまさに”5kmのタイムトライアル”という名のラストスパートをかけ、痛み/吐き気/痺れ/空腹感を全て脇に置き差って、ゴールに向かって疾走しました。恐らく感覚的にはハンガーノック一歩手前でなんとかゴールゲートに辿り着き、『You are an IRONMAMN!!!』のアナウンスを受けてゴール!!なんだか最後は叫びたくなる衝動と共に花道へ突入しゴールゲートを潜り抜けました。
<レースを振り返って>
自分の内面的な部分を取り出してレースを振り返りましたが、それとは別に12時間超のレース中はトランジションや走行中に数え切れない仲間とすれ違い/励まし合い、また応援の方から声援を受けて、数え切れない難局を乗り越えることが出来きました。
更に2,100人を越えるボランティアの方々がエイドや分岐点でサポートしていただいたお陰で、ノンストップ/ノンストレスでレースに集中することが出来きました。
自分自身のゴールの後も制限時間までの約5時間、それぞれのドラマを抱えた選手が次々と引っ切り無しにゴールへ飛び込んでくる姿は、まさに同じストーリーを経験した仲間だからこそ共感し感動しあえる空間で会場は包まれていました。途中で負傷しリタイアした仲間も含め、全てが壮大なドラマを奏でているような特別な一日だったと思います。