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★パラトライアスリートとして歩み始めた土門さん★高校で競泳、大学ではライフガードのスポーツマンが突然の骨肉腫。人生のどん底から這い上がったトライアスリートのドラマは青トラで第二章へ★

★パラトライアスリートとして歩み始めた土門さん★高校で競泳、大学ではライフガードのスポーツマンが突然の骨肉腫。人生のどん底から這い上がったトライアスリートのドラマは青トラで第二章へ★

10月から青トラでお世話になっている土門です。

こんな順番で自己紹介します。

1.ドラマのような自己紹介-青トラ入会まで
2.青トラ効果


1.ドラマのような自己紹介-青トラ入会まで

僕は2004年右足太もも膝近くに骨肉腫(簡単に言うと骨のがん)を発病しました。この病気は年間100万人に1人の割合で発病する可能性のものらしく、病気の内容を理解したとき、人生のどん底でした。

抗がん剤治療+外科手術で腫瘍を取り除く厳しい現実が待っていました。

抗がん剤が効けば助かる可能性があるけど効かないこともあったり、
腫瘍ができた右足は残せるのか?それともを切断しなければならないのか?など、
もうびっくりするような話の連続です。

幸い、右足は残ったのですが、その代わりに右足太ももの筋肉と骨を失いました。そして、骨の変わりに金属の人工膝関節を入れることになりました。手術後、自分の足を見て絶望もしました。

また、骨肉腫はいわゆるガンなので、悪い部分を取り除くだけでは治ったかどうかわかりません。そこで、他に転移しているかもしれないガンを体から消し去るために、抗がん剤治療を行います。これは時間がかかりました。毎日、病室の窓から外をみて、曇っていいなぁ?、そら飛べないかなぁ?など色々考えたり、絶望したりと大変でした。

長い期間の抗がん剤治療とリハビリを行うことで、退院時は杖を使って歩くことができるようになりました。

しかし、僕の人工膝関節は機械の制限から膝が90度以上曲がらず、階段の下りに苦労したり、満員電車に乗ることができなかったりなどごくごく普通の生活も大変でした。

無事に退院し、生きているだけでも幸せなのですが、

どうしても自分が障害者になったという現実を理解できず、毎日葛藤していました。ある日、横になって天井を見ていると「なぜ自分が」と考えてしまい、涙があふれてきたこともあります。

こんな毎日では、心の病気になってしまいます。

そんなとき、こんな考えが出てきました。


障害者なら→パラリンピック出場できるよなっ→これで一番になれば納得するかも!


僕は高校で競泳、大学ではライフガードをやっていたので、早速競泳を始めることに決めました。

日中の空いている東京体育館でちょっと泳いでみると、右足が沈んでいきます。筋肉が少ないため、片足だけ沈むんですよ。それでも、初めて泳いだときはものすごく嬉しかったです。

練習を重ねることでジャパンパラリンピックに出場するところまで着ました。

しかし、北京パラリンピックの選考会で障害者のクラス分けを受けたところ、「君は健常者なので世界大会に出場することができない。」と言われました。

パワーがありすぎて、障害者の枠から外れてしまったそうです。これって嬉しいことですが、競技者として道が閉ざされてしまい、怒りだけが残りました。

これまで努力していたことが全て無駄になった瞬間でした。

しかし、こんなことを引きずって人生を過ごすのは、それこそ心の病にかかってしまうため、次の可能性に挑戦しました。

僕は社会人になってからトライアスロンを始めていて、年に2,3回ショートのレースに出場していました。これからロングの大会に出場しようかなと思ってところで病気となってしまったため、いつかはトライアスロン復活を考えていたのです。

まずは自転車に乗れないとトライアスロン復活ができません。しかし、右足が90度以上曲がらないため、通常の170mmクランクだとサドルを目いっぱい上げても、ペダルを漕ぐことができません。片足ペダルやその他いろいろ試行錯誤した結果、右足クランクの130mm付近に穴を開けることで、自転車に乗ることができるようになりました。

もう二度と自転車に乗ることができないと心の中でずっと思っていたので、再びロードレーサーに乗ることができたときはものすごく嬉しかったです。

僕の右足はペダルを踏んだり、ランで蹴りだしたりする大腿四頭筋がほとんどないので、実際は片足でペダルを踏んでいる状態に近いのですが、練習を重ねていくと少しずつスピードが上がってきます。人間の適応能力って凄いですね。残っている筋肉がうまく使われる感じです。

自転車がある程度乗れるようになったので、あとはランができればトライアスロン復活が現実になります。

でも、ランは一生やらないと決めていました。

それは、僕の人工膝関節は日常生活用であり、走るためのものではないからなのです。「ラン=人工膝関節を壊すこと」なので、我慢していました。また、実際に走ろうと思っても筋肉が無いので右足を蹴りだすことができませんでした。

そんな状況でも2008年にたかはらやまトライアスロンにショートで復活しました。
スイム、バイクはいつも通り、ランはノルディックウォーキングのストックを使って歩きました。この復活は満足でした。

2011年11月頃、偶然JTUのサイトでパラトライアスロンという言葉を見つけました。障害者のクラス分け基準を見ると、自分の障害でも参加資格がありそうです。このときはものすごく嬉かったです。なんか何でもできそうな気がしました。そして、その場で翌年のレース出場を決めました。

レース出場を決めたのはいいけど、ランはどうする?

まだ1年ある。

駄目もとで練習してみるか。(当時は「今でしょっ!」って感じでした。)

すぐに、家の近くで走る真似をしたのですが、せいぜい20m真似るだけで全身疲労でもう限界。パラトライアスロンでは5km走りますが、とてもじゃないけど難しい。先がまったく見えないところからの出発でした。

あと、右足を壊さないために、衝撃を加えない走りはどうやるの?

僕と同じ状況でランをやる人はまずいないので、誰にもアドバイスをもらえません。試行錯誤しながら練習を重ねていきます。右足つっかえ棒走法(イメージ伝わるかな?)でビッコ引いて走るような走法を考え、2012年4月にはゆっくりですが、皇居一周ができるところまで着ました。

そして、9月に念願のパラトライアスロンデビュー。

スイムもバイクも当時の力ではまあまあ、そして、ランでは息が思いっきり上がってしまい、思うように動かなかったのですが、歩かず走りきってゴール!!

できないと思い込んでいたランがでレースでできるようになった瞬間でした。

この1年後、ロンドンのグランドファイナルに参戦した際、関口さんと練習について話をしたことが青トラ入会のきっかけとなりました。

これまで、1人で練習をしていましたが、はっきりいって楽しくはなかったです。客観的に僕の動きを見てアドバイスをもらうこともなかったり、1人ではどうしてもできることに限界がありました。ロンドン大会終了後、すぐに青トラに入会し、10月から練習に参加しています。

2.青トラ効果

練習効果が早速結果に結びつきました。

10月12日-14日にかけて、全国障害者スポーツ大会(障害者国体)が開催され、僕は東京都の競泳代表として25m自由形、50m自由形に参加しました。

ロンドンのレースが終わってからはほとんど泳いでいませんでしたが、神宮外苑のバイク練習で背中の筋肉を使った動きを河原コーチから教えてもらうと、競泳で相乗効果がありました。

これまで、競泳の短距離で練習不足の場合、水がスカスカで空回りな動作しかできなかったのですが、今回は背中の筋肉から大きく動くイメージで、思ったほど悪くなく泳ぎきることができました。

初日の25m自由形はタッチの差で2位、2日目の50m自由形は1位を取ることができました。

初日レース後の夜は青トラシークレットパーティーでちょっとだけ多めに飲んだのですが、これも50mの結果に結びついたのかもしれません。冗談みたいな本当の話。

3.今後

これまで自分が障害者になったという現実を納得するため、レースなど一番を目指し、人類最強の人工関節使用者を目指すことだけを考えていましたが、青トラ入会がきっかけでレース以外の楽しみも増えていくような気がしています。きっとこれからもいいことが続いていくと思います。

皆さんよろしくお願いします。

★パラトライアスリートとして歩み始めた土門さん★高校で競泳、大学ではライフガードのスポーツマンが突然の骨肉腫。人生のどん底から這い上がったトライアスリートのドラマは青トラで第二章へ★

posted by 2013.10.29 | メンバー

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