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会員番号 No,108 中澤 隆(りゅう)です
5月12日(日)に横浜の山下公園で開催された「2013世界トライアスロンシリーズ横浜大会」のパラトライアスロン部のTRI?6bに参加しました。
今回から視覚障害のクラスは2つに別れ、TRI?6a(全盲)と、自分が出場したTRI6?b(弱視)に別れました。
この横浜大会は、エリート選手同様にドーピングの検査があり、パラリンピックを踏まえての大会だと感じました。また、この大会で、各カテゴリーの男女3位以内は、9月のイギリス・ロンドンで開催される、「ITU世界トライアスロンシリーズグランドファイナエル(2013/ロンドン)パラトライアスロンの選考会でもあったのです。
自分が出たクラスは、自分を合わせて2人なので、ロンドン行きは、ほぼ決定していました。
パラのスタートは7時15分なので、当日の朝は早く4時30分に起床し、アップを30分ぐらいジョグしました。したくをして、6時頃には大会会場に居たと思います。
今回パラは、トランジットが2カ所あるので、忘れ物しないように気を付けました。
エリート同様の扱いなので、テントが用意されていて、荷物などを置き、ウエットに着替えスタートに備えました。
試泳が無いまま、スイムがスタート。水温が非常に冷たく感じて、心拍もどんどん上がって行き、2回ほど海水を飲んでしまい、少し止まってしまいました。
スイムアップ後トランジットへ行くと、前回同様の展開で、もう一人の方が先に出ている状況でした。バイクとランで何とか追い着きたいという思いだけが空回りてしまい、2位でフィニッシュしました。
2位という結果から見ると、スイムが課題というのが目に見えて解ります。
今後は、この悔しさをバネに頑張って行きたいと思います。
応援して頂いた方、本当にありがとうございました。
会員番号76のモテギです!
自分がトライアスロンをやるなんて、数年前まで夢にも思ってなかったですが、それまではプールで週1-2回軽く泳ぐ程度で、ラン、バイクに関しては全くの素人(^-^;
ランに至っては前の会社チームで
毎年、皇居5キロマラソン大会にみんなで出る時も、5キロなんて無理だとカメラマンで参加してた位です(笑)
その後、転職して職場が皇居近辺になり、天気の良い日に気持ち良さそうに走っている皇居ランナーを見て、自分も、走ってみようかな?と思い、青トラに入会!!
ところが、トライアスロンは過酷なイメージがある為、長く続けられるか、わからないので、最初は一番安いバイクでいいと思い、スターターキットを購入。
そして、2週間くらいして青トラのトライスーツがきた時は、嬉しかったですねー!
まだ、一試合も出てないのに、すっかり、気分はトライアスリート(^_^)v
そして、ちょうど、2年前の5月に彩湖でスプリントデビュー。
その時、一緒に出た仲間は、今でも思い出に残る大切な仲間ですねー(^_^)v
それから徐々にステップアップしてOD、ミドルと順を追って完走して、今回、宮古島に抽選で当たって、正直、落選すると思ってたので、戸惑いもありましたが、年明けから練習に入りました。
宮古島に向けて、過去2回優勝の河原コーチの河原塾には、全3回中・2回参加させてもらったのは、でかかったですねー!
そして、練習中に常に頭に浮かんだのは、河原コーチがアップして下さったサッカー元日本代表の岡田監督の言葉
『真剣だと知恵が出る。
中途半端だと愚痴が出る。
いい加減だと言い訳ばかり。
本気でやってるから誰かが
助けてくれる。』
と、雑誌で見た
『出来るか出来ないかではない。
やるか、やらないかだ。』
でした。これを目標にしてたからと言う訳ではありませんが、バイクの部品を、いろんな方が貸して下さったり、寄贈して下さったり、本当にいろんな方に助けてもらいました。
ありがとうございました!!
そして、いざ宮古島に入り、まず青トラチームでレンタカーを借りて、バイクコースの下見をして、
意外だったのが、池間島が予想より大きかったのと、そこから、東平安名崎までが、
ゆるやかだけど、ずっと登りに感じた事でした(^-^;
ランコースも、往路は登りが続くと河原塾で情報は入ってましたが、車で回ってみると、
予想以上にキツいなと言うイメージでした…
そして、当日は天候不良でスイムが中止になり、ラン バイク ランのデュアスロンになりましたが、
前日、試泳で綺麗な海を泳いでいるし、スイムは、全体の約1/10だから、あまり変わらないと
自分に言い聞かせ、全体の1/4くらいの位置でスタートしました!
『1stラン・6.7キロ』
一緒にスタートした、同部屋のHさんと、1stランは、抑え気味に、キロ5分くらいでゆっくり行こうと話してたのですが、スタートしてみると気持ちが先走ってしまい、キロ4分20くらいで、抑えながら早く走るみたいな感じで、結構抜いた感じでした。
そして、1stラン・フィニッシュしてバイクに乗り換えた時に、もうトイレが行列になってました(笑)
あれ!もう??と思ってたら、
終わってからトイレに寄った人に聞いたら、バイクが長丁場なので、バイクに入る前に、行っておきたかったそうで、かなりタイム・ロスだったみたいです…
『バイク・155キロ』
河原塾に、参加させて頂いて、3種目の中で何に一番、力を入れて練習した方がよろしいですか?
と質問させてもらった時に、河原コーチは、
《バイクです!!》
と、おっしゃったので、それからは、バイクをなるべくメインにして、やってきたつもりでしたが、
バイクスタートしてから、徐々に抜かされて行き、20キロ地点で、かなり抜かれ、average時速30km位のイメージで臨んだのが、強風でaverage27-28kmになってたので、コーチからは、average25kmないと
制限時間クリア出来ないと聞いてたので、焦りました…
そして、池間島に差しかかった所で、ギアが、うまく噛み合わなくなり…
シフトレバーのネジが緩みはじめました(^-^;
ギアチェンジは、するのですが、手を離すと元のチェンジする前の位置に戻ってしまい、
右手で抑えてないと、チェンジ出来ない状態になってしまいました…
そんな中で、メカニックが見えて来たので、寄ったのですが、先に1人いて、こっちに取り掛かるのは遅いと、とっさに判断して、持参していた六角レンチのマイナスドライバーで、とりあえず、ネジをしめて走り出しました!
しかし、走ってる内に、また緩んできてしまい、しばらくしてから、また止まって、今度は、キツく強い力で回したら、ネジから滑って左手・人差し指を刺してしまい、血が止まらなくなってしまいました…右手は、シフトレバーを抑えないと駄目…左手は人差し指を舐めないと血が止まらないので、
両手が塞がってしまい
池間島から東平安名崎までの30キロ位は、ストレスとの戦いでした(^-^;
そして、東平安名崎で2度目のメカニックがあったので、寄りました。
寄ってる最中で、青トラのOさんが声をかけてくれました!
『モテケンさん、大丈夫?』
『うん、大丈夫!』
と、言いつつも全然、大丈夫じゃありません(笑)
その間にドンドン抜かれ(^-^;
修理中にトイレを済ませ、とりあえず、応急処置で治り、再出発して坂道を60キロ位でスピード出して走ってたら、道路に凸凹があって、そこに差しかかった時に、空気入れが吹っ飛び、ついでにサイクルコンピューターが計測不能に、
更に、またもやギアのネジが緩んでしまったので、立ち止まり、ネジを再度、締め治して、行こうとしたら、一番急な登り坂にさしかかった為、立ちごけして、左膝をうち、完全に心が折れかかってました…
そんな最悪な状況で、
『青トラがんばれー』
と聞き慣れた声が…!!
良く見ると、北海道から応援に来てくれた友人Oさんでした(^_^)v
エアロヘルメットをとると、Oさんは
『モテケンやっと会えたなー!』
と言ってくれ、そこから、まだ諦めてはいけないとパワーをもらい、急坂を登りきった所で、もう一回止まり、時間かかってもいいと思い、シフトレバーを一段ずつ変えるたびに、ねじを締めて行きました。
そして、その方法でやったら、ようやく元に戻って、100キロ過ぎたあたりから、復活してきました!
そして、残りの55キロは、普通にこなし、何とかバイク・フィニッシュしてホッとしましたが、この後に42キロ足が残ってるのか不安でした…
『2ndラン・42,195キロ』
トランジションで、トイレに行こうとしたら、並んでたので、最初のエイドまで我慢して走り始めました。
ランは、バイクで止まってばかりだったせいか、足が結構残っていました。
そして10キロ位行った所で、トップの先導車が来ました。
河原コーチでいてくれ…と願いましたが、背の高い外人でした(^-^;
ガックリきましたが、次に2位の選手が現れました!
良く見ると、河原コーチでした(^_^)v
向こうも、僕に気づいたらしく、
まるでコーチは大男の様に、腹の底から
『もぉ…てぇ…ぎさーーん!!』
と言って下さり、全身鳥肌が、立つくらいな衝撃が起こりました!こちらも、
『くぁわはらコーーーーチ!!』
と言ってハイタッチ!!
もの凄いパワーを頂きました(^_^)v
あの河原コーチの激走を目の当たりに見れたのは、本当に宮古島に来て良かったーと感激しました!!
それから、ランコースは、ほぼ一本道なので、折り返しまで反対側から来る青トラのメンバーともハイタッチをしてパワーをもらい、
折り返してからの激坂は、コーチから、早歩きでも変わらないと言われてましたので、そこは歩き、激坂を過ぎたら、後は下り中心で、暑くなかったのと、更に頑張ってるメンバーとすれ違って勇気をもらい、
バイク程のトラブルもなく、無事完走する事が出来ました!
そして、次々にゴールした仲間と完走を喜びあいましたが
、制限時間ギリギリまで、あと少しと言う所で、3名がまだ、ゴールしてませんでした。
1人は珠洲の時に、一緒に出て制限時間ギリギリで悔し涙を飲んだKさん。
1人は、骨折して完治してない状態でも諦めずにスタートラインにたたれたTさん。
1人は、同部屋で、今回ずっと一緒に語り合ったYさん。
この三人には、絶対ゴールしてもらいたかったですが、残り時間だけが、無常にも過ぎていきます…
続々と泣きながらゴールしてくる人もいる中で、三人が無事ギリギリながらゴールしてきて、安堵と感激が止まらなかったです!!
そして、花火が『ドッカーン 』
部屋に戻ってからも、部屋中、興奮さめやらぬ状態で、話しが尽きず最高の締めくくりの宮古島でした!
振り返ってみますと、無事に完走出来ましたのは、
河原コーチ、原田コーチ、
千恵コーチ、斉藤コーチ他、
ケンズコーチ陣の方々、
関口さん始め、一緒に練習してくださった青トラの仲間。
現地や東京から応援してくださった方々。
家族、友人のお陰です!
青トラを通して、たくさんの素晴らしい方々と出会わせてもらいました!
この場をおかりして、お礼を申し上げたいと思います。
本当にありがとうございました。
余談ですか、今回応援に来て下さった友人Oさんは、限界に挑戦するトライアスロンにとても感激されて、次は佐渡もまた、応援に来てくださる予定です(^_^)v
彼曰わく、青トラのオフィシャル応援団になりたいとの事で、佐渡は、何か出し物も考えてくれてるとか!!
何が出てくるのか、今から楽しみです(笑)
会員♯126の高山です。
フルマラソン4時間50分というビギナーの私が、チャレンジ富士五湖というウルトラマラソンレースに参加してきました。一度は諦めたもののなんとか復活して完走したこのレースについてご報告させていただきます。
チャレンジ富士五湖は、富士山の周囲にある5つの湖(山中湖、河口湖、西湖、精進湖、本栖湖)を周りながら112km、100kmまたは72kmを走るレースです。
私は“ビギナー”クラスの72km部門に参加しました(72kmは河口湖、西湖、精進湖の3つの湖を周ります)。
前日が選手受付のため山中湖の民宿に一泊しました。東京からの専用バスで会場に到着したところで冷たい雨が。何やら悪い予感。夕食のレストランでカーボローディングを済ませ外に出てみると、雪が降り積もっていました・・・。
少し肌寒いくらいかなと予想してウェアを持ってきたもののこんなに寒くなるとは思ってもみず少し焦りましたが、手持ちのTシャツを重ね着することにし、エイドにおく荷物の支度をしなおしました。(ウルトラマラソンでは、途中のエイドに予め自身で用意した荷物を置いておくシステムがよくあるようです。今回は42km地点に替えのシューズとTシャツを入れておくことにしました。あとはご褒美のおまんじゅうも・・・)
112km、100km、72kmのスタートはそれぞれ午前4:30、5:00、8:00で、ゴールが同じ時間(19:00)に設定されています。
午前3時頃だったでしょうか、112kmと100kmレースに出発する仲間を宿の玄関で見送りました。外は相変わらずのザーザー降りでしたが、雪ではないだけマシか・・・と皆、苦笑しながら前向き発言。必ずゴールで出会いましょう!と約束し送り出しました。
その後、わたしは興奮からか、あまり寝ることができないまま、6時に起床。宿朝食のおにぎりを3つほお張りエネジーチャージ。送迎バスに乗り込みスタート会場まで向かいました。
会場に着いても、一瞬でウェアに染み渡るほどの雨、そして寒い。周囲は降り積もった雪で真っ白。ここスキー場・・・?と思うほど。
スタートまでの待ち時間、「寒い」「ありえない」とみんなぶつぶつ言いつつ、それでも足はスタートラインに向かう人たち。つくづく変わった人たちだなぁと思います^^
凍える雨の中、8時にスタート。最初は青トラ仲間に付いていたのですが、10kmくらいで見失い、長い一人旅が始まりました。
河口湖を過ぎ西湖のあたり、距離にして20-30km地点から、雨が止まないうえ気持ちも滅入ってきて、ペースダウンし始めました。
足が思うように前に進まないまま、3つ目の湖、精進湖へ向かいます。この湖を抜ければ42kmの地点ですが、途中の橋のアップダウンや長い上りに完全に気持ちがノックアウト。この頃にはキロ12分の走りになってしまっていました。予定ではキロ8分のイーブンペースでぎりぎりゴールの計算だったので、少しずつゴールが危うくなってきているな、と感じてきていました。
42kmのエイドに着くころには雨も弱くなってきていましたが、寒さは相変わらず。エイドで用意されている自分の荷物を受け取り、身体が冷えないようにタオルで身体を拭き、ゆっくりと濡れたTシャツとシューズを着替えました。ご褒美のおまんじゅうを食べたら、気分が少し持ち直しましたが、このあと、履き替えたシューズに悩まされることになります。
履き替えたシューズはほとんど履いていないものだったのですが、クッションもあるため、後半の足への衝撃を和らげるには良いだろうと選んだものでした。ですが、42kmエイドを出発してすぐ違和感が。足のむくみと靴ひもの調整がうまくいっていなかったのか、左足首が痛みだしました。痛みを我慢できずに歩く、走るの繰り返し。さらに、寝不足のため眠気も襲ってきました。
そして52kmのエイドの手前になると「52kmでも上出来。こんな状態では間に合わないから、ゴールは諦めてとりあえず制限時間にひっかかるまで歩こう」と、完全に気持ちは諦め。あったかいコーヒーを飲んでエイドをとぼとぼと歩いて出ようとしたところ、大会スタッフの方がこんな言葉をかけてくれました。
「次の最後の関門(67km)に18:00くらいで到着すれば、ぎりぎりゴールに間に合うよ!!」
時計を見て計算すると、15kmをキロ7分で走ればいい計算。もうどうやっても無理だと思っていた私は、「そうか、まだ間に合うのか。それにキロ7分はできない速さじゃない。」
そう思った瞬間、力がぶわっと出てくるのを感じました。
そこから、何がなんでも完走目指そう!という気持ちに切り替わり、脇目もふらず前だけみて走り続けました。いつのまにか足首の痛みも感じなくなっていました。
わたしを抜いていった人たちをぐんぐん抜き、5km走って57kmのエイドに。歩かず走れた!というのが更に自信につながりました。あと10kmで最後の関門67km。カッパやウィンドブレーカーを脱ぎすて、気合を入れ直し、そこから自分でも驚くほどの速さで走り続けました。この10kmの間は平地だったこともありキロ6分くらいで走ったと思います。
無我夢中で走って、67kmエイドに18:05に到着。
なんとか完走圏内にきた、残り5km?!と喜んだのも束の間、このあと続く3kmは上り。聞いてないよーという思いと、もう体力が残っていないよーと何度も何度も思いましたが、ここまで来て諦めるのはあまりにも悔しい。精神的にも一番つらかったですが、周囲はほとんどの人がゆっくり歩いているのを後目に、歩く、小走りの繰り返しで3km登り切り。その後の2kmは下りでしたので、ここぞとばかりに飛ばしました。
ゴールのあるトラックに入る前、ゼッケン番号を確認され私の名前が呼ばれました。もしみんなが待っていたら気づいてくれるかな?とか、でも帰るバスもすぐに出発するし、もうみんないないかな?と考えつつ、トラックに入ったところ、青トラメンバーが!すごくうれしかったです。大きな声援を背に18:49、制限時間11分前にゴールできました。
後に発表された完走率をみますと、昨年に比べ100km以上の距離での完走率が大幅に低くなっており、いかにコンディションが悪かったのかがわかると思います。
・72km: 男子80.6%、女子71.0% (昨年:男子81.0%、女子77.7%)
・100km: 男子51.3%、女子41.5% (昨年:男子71.3%、女子64.7%)
・112km: 男子38.8%、女子31.8% (昨年:男子64.3%、女子51.2%)
今回、このような悪条件の中で72kmという長距離を走れたことは、とても自信につながりました。これからもトライアスロンでもミドルやロングにチャレンジしていきたいと思います。
最後になりましたが、とても寒い中、対応してくださった大会関係者の方々、応援してくださった沿道の方々、一緒に走ってくれた仲間に本当に感謝です。