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10月から青トラでお世話になっている土門です。
こんな順番で自己紹介します。
1.ドラマのような自己紹介-青トラ入会まで
2.青トラ効果
1.ドラマのような自己紹介-青トラ入会まで
僕は2004年右足太もも膝近くに骨肉腫(簡単に言うと骨のがん)を発病しました。この病気は年間100万人に1人の割合で発病する可能性のものらしく、病気の内容を理解したとき、人生のどん底でした。
抗がん剤治療+外科手術で腫瘍を取り除く厳しい現実が待っていました。
抗がん剤が効けば助かる可能性があるけど効かないこともあったり、
腫瘍ができた右足は残せるのか?それともを切断しなければならないのか?など、
もうびっくりするような話の連続です。
幸い、右足は残ったのですが、その代わりに右足太ももの筋肉と骨を失いました。そして、骨の変わりに金属の人工膝関節を入れることになりました。手術後、自分の足を見て絶望もしました。
また、骨肉腫はいわゆるガンなので、悪い部分を取り除くだけでは治ったかどうかわかりません。そこで、他に転移しているかもしれないガンを体から消し去るために、抗がん剤治療を行います。これは時間がかかりました。毎日、病室の窓から外をみて、曇っていいなぁ?、そら飛べないかなぁ?など色々考えたり、絶望したりと大変でした。
長い期間の抗がん剤治療とリハビリを行うことで、退院時は杖を使って歩くことができるようになりました。
しかし、僕の人工膝関節は機械の制限から膝が90度以上曲がらず、階段の下りに苦労したり、満員電車に乗ることができなかったりなどごくごく普通の生活も大変でした。
無事に退院し、生きているだけでも幸せなのですが、
どうしても自分が障害者になったという現実を理解できず、毎日葛藤していました。ある日、横になって天井を見ていると「なぜ自分が」と考えてしまい、涙があふれてきたこともあります。
こんな毎日では、心の病気になってしまいます。
そんなとき、こんな考えが出てきました。
障害者なら→パラリンピック出場できるよなっ→これで一番になれば納得するかも!
僕は高校で競泳、大学ではライフガードをやっていたので、早速競泳を始めることに決めました。
日中の空いている東京体育館でちょっと泳いでみると、右足が沈んでいきます。筋肉が少ないため、片足だけ沈むんですよ。それでも、初めて泳いだときはものすごく嬉しかったです。
練習を重ねることでジャパンパラリンピックに出場するところまで着ました。
しかし、北京パラリンピックの選考会で障害者のクラス分けを受けたところ、「君は健常者なので世界大会に出場することができない。」と言われました。
パワーがありすぎて、障害者の枠から外れてしまったそうです。これって嬉しいことですが、競技者として道が閉ざされてしまい、怒りだけが残りました。
これまで努力していたことが全て無駄になった瞬間でした。
しかし、こんなことを引きずって人生を過ごすのは、それこそ心の病にかかってしまうため、次の可能性に挑戦しました。
僕は社会人になってからトライアスロンを始めていて、年に2,3回ショートのレースに出場していました。これからロングの大会に出場しようかなと思ってところで病気となってしまったため、いつかはトライアスロン復活を考えていたのです。
まずは自転車に乗れないとトライアスロン復活ができません。しかし、右足が90度以上曲がらないため、通常の170mmクランクだとサドルを目いっぱい上げても、ペダルを漕ぐことができません。片足ペダルやその他いろいろ試行錯誤した結果、右足クランクの130mm付近に穴を開けることで、自転車に乗ることができるようになりました。
もう二度と自転車に乗ることができないと心の中でずっと思っていたので、再びロードレーサーに乗ることができたときはものすごく嬉しかったです。
僕の右足はペダルを踏んだり、ランで蹴りだしたりする大腿四頭筋がほとんどないので、実際は片足でペダルを踏んでいる状態に近いのですが、練習を重ねていくと少しずつスピードが上がってきます。人間の適応能力って凄いですね。残っている筋肉がうまく使われる感じです。
自転車がある程度乗れるようになったので、あとはランができればトライアスロン復活が現実になります。
でも、ランは一生やらないと決めていました。
それは、僕の人工膝関節は日常生活用であり、走るためのものではないからなのです。「ラン=人工膝関節を壊すこと」なので、我慢していました。また、実際に走ろうと思っても筋肉が無いので右足を蹴りだすことができませんでした。
そんな状況でも2008年にたかはらやまトライアスロンにショートで復活しました。
スイム、バイクはいつも通り、ランはノルディックウォーキングのストックを使って歩きました。この復活は満足でした。
2011年11月頃、偶然JTUのサイトでパラトライアスロンという言葉を見つけました。障害者のクラス分け基準を見ると、自分の障害でも参加資格がありそうです。このときはものすごく嬉かったです。なんか何でもできそうな気がしました。そして、その場で翌年のレース出場を決めました。
レース出場を決めたのはいいけど、ランはどうする?
まだ1年ある。
駄目もとで練習してみるか。(当時は「今でしょっ!」って感じでした。)
すぐに、家の近くで走る真似をしたのですが、せいぜい20m真似るだけで全身疲労でもう限界。パラトライアスロンでは5km走りますが、とてもじゃないけど難しい。先がまったく見えないところからの出発でした。
あと、右足を壊さないために、衝撃を加えない走りはどうやるの?
僕と同じ状況でランをやる人はまずいないので、誰にもアドバイスをもらえません。試行錯誤しながら練習を重ねていきます。右足つっかえ棒走法(イメージ伝わるかな?)でビッコ引いて走るような走法を考え、2012年4月にはゆっくりですが、皇居一周ができるところまで着ました。
そして、9月に念願のパラトライアスロンデビュー。
スイムもバイクも当時の力ではまあまあ、そして、ランでは息が思いっきり上がってしまい、思うように動かなかったのですが、歩かず走りきってゴール!!
できないと思い込んでいたランがでレースでできるようになった瞬間でした。
この1年後、ロンドンのグランドファイナルに参戦した際、関口さんと練習について話をしたことが青トラ入会のきっかけとなりました。
これまで、1人で練習をしていましたが、はっきりいって楽しくはなかったです。客観的に僕の動きを見てアドバイスをもらうこともなかったり、1人ではどうしてもできることに限界がありました。ロンドン大会終了後、すぐに青トラに入会し、10月から練習に参加しています。
2.青トラ効果
練習効果が早速結果に結びつきました。
10月12日-14日にかけて、全国障害者スポーツ大会(障害者国体)が開催され、僕は東京都の競泳代表として25m自由形、50m自由形に参加しました。
ロンドンのレースが終わってからはほとんど泳いでいませんでしたが、神宮外苑のバイク練習で背中の筋肉を使った動きを河原コーチから教えてもらうと、競泳で相乗効果がありました。
これまで、競泳の短距離で練習不足の場合、水がスカスカで空回りな動作しかできなかったのですが、今回は背中の筋肉から大きく動くイメージで、思ったほど悪くなく泳ぎきることができました。
初日の25m自由形はタッチの差で2位、2日目の50m自由形は1位を取ることができました。
初日レース後の夜は青トラシークレットパーティーでちょっとだけ多めに飲んだのですが、これも50mの結果に結びついたのかもしれません。冗談みたいな本当の話。
3.今後
これまで自分が障害者になったという現実を納得するため、レースなど一番を目指し、人類最強の人工関節使用者を目指すことだけを考えていましたが、青トラ入会がきっかけでレース以外の楽しみも増えていくような気がしています。きっとこれからもいいことが続いていくと思います。
皆さんよろしくお願いします。
こんにちは。
ホノルルトライアスロンに続き、9月に2度目のODに挑戦した加藤由利子です。
今回の大会は村上トライアスロン。前回のホノルルトライアスロン前は必死にswimトレーニングを
して大会に備えていましたが、今回は大会の一カ月を切るまでほとんど練習せずに過ごしていました。
いつも青トラの練習にあまり顔を出していない私ですが、大会前になると突然顔をだすのはメンバーもご存じのとおり。
今回は本当に短期集中型でランとswimの駆け込みトレーニングでした!(本当は良くないですね。)
当日は快晴。女子のスタートは10時20分だったので時間に余裕があり、エリートの方々を観戦したりスタートまでゆっくり過ごしました。
swimスタート。
バトルに巻き込まれないよう後ろからゆっくり入りました。私は左呼吸しかできないので今回の時計回りのコースではあっちいったりこっちいったり右側にあるコースロープに手がからまったり何度も蛇行泳ぎをしながら進んでいきました。
途中レスキューの方に左に行きすぎ!と合図されました。
そんな訳で相変わらずタイムは遅かったけれど、水も綺麗でswimはとても楽しく気持ち良く泳げました。
何より心配していたくらげさん達に会わなくて本当に良かった!!
バイクは綺麗な海を見ながら海岸線をしばらく走るコースで、途中辛くても景色に励まされながら走りました。
正直ホノルルのバイクコースよりずっと魅力ある景色が楽しめると思います。(ホノルルは海が見えなかった。。)
途中坂道が何度かあって頑張りどころですが、下りはとても爽快でかなりのスピードが出てました!
スイムのタイムが遅かったので少し気合いを入れて早く走ったつもりだったのですが、予想よりタイムがとても遅くもっと練習して挑むべきだったと痛感しました。実際大会までほとんどバイクトレーニングはやっていませんでした。。
途中地元のおじいちゃんおばあちゃん達の声援がとても励みになり、一生懸命応援してくれるので私もそれに笑顔で応えました(笑)
最後のランの走りはじめはとても辛くゆっくり走っていたのですが、最後の方ではメンバーの方々の応援して下さる姿が見えたので徐々にペースを上げる事ができました。
街の雰囲気も楽しめるコースなので楽しかったです。前回は周回数を間違えランを多く走るハプニングがありましたが今回はきちんと10kmで終える事ができました(笑)
結果的にタイムはあまり早くありませんでしたが、練習不足もあり完走が今回の目標でもあったので無事にゴールできて良かったです! そして一番苦手なswimが一番楽しかったので嬉しい気持ちと同時にもっとタイムを縮められるように頑張ろうと思いました。
オリンピックディスタンスのタイムを縮める事を目標として、それが達成できたら次に進みたいと思います。
村上の大会は景色もとても綺麗でコースも楽しめるので、できればまた参加したいなあと思いました。
ゴール後にたくさんのご飯や飲み物が用意されているのも魅力のひとつです! また、温泉に入ったり
美味しいご飯が食べられたり大会以外にも楽しみがたくさんありました。
今回もバスの手配や宿の手配、また道中の準備やサポートをしてくださったメンバーの方々のおかげで村上トライアスロンに参加し、完走する事ができました。また大会には参加せずに村上まで応援にきてくださったメンバーにも感謝したいと思います。
皆様のおかげで行きから帰りまでとても楽しい大会でした。本当にありがとうございました!
10月12日、都島店主催走行会
この日の参加者は全部で25名ほどご参加されており、参加されている方々はお客さんメインで
他はHPをみてご参加された方々でした。
今回はうつぼ店店長:阿部さん(元オリンピック日本代表)と都島店長:磯貝さんが引率されました。
うつぼ店主催の場合、まず初心者向けにビジネスパークまで皆さんで行きビジネスパーク周りを周回しながら手信号と集団走での先頭入れ替わりの練習 を5周回行うのがウォーミングアップとなっています。
周回後、初心者は舞洲での周回走行へ、初級者・中級者は箕面の滝から勝尾寺を回ってうつぼ店へ戻るコースにわかれてビジネスパークを出発!
舞洲コースの引率は磯貝店長、箕面方面は阿部店長が引率され、今回私は箕面コースへ参加しました。
淀川を越えて服部緑地公園を越え、箕面の滝の入口まで約40kmほど箕面の滝目指しひたすら漕ぎまくりです。
中腹まではそこそこキツい坂ですが、滝までほぼ下り。
滝を越えたら勝尾寺を目指して、今度はひたすら上り。
勝尾寺まで約400mほど標高が上がります。(この時点で約50km)
勝尾寺を過ぎれば下りのみ、下り終えたらカフェでの休憩タイム。
カフェタイム後帰路へ
アベルの走行会は途中でカフェでのモーニング等を食べるのも一つのお楽しみになっています。
又、このあたりはバイクのメッカで福知山まで抜けていったり、ひたすら箕面の
滝>勝尾寺の周回を走っている方々も見かけます。
市街地の走り方、止まり方、集団での走行などなど、ご参加された方々との親睦がしやすいイベントです。
もちろん阿部店長からのアドバイスは頂けますし、又、ベテランのお客様からもアドバイスや色んな情報が聞けます。
今回は都島店>ビジネスパーク>箕面の滝>勝尾寺>都島店で約78kmでした。
※今後は合同走行会以外にも、パンク修理などのメンテ講習会などもありますので、決まり次第おって告知致しますので奮ってご参加お待ちしておりま す。
土曜日は都島主催、日曜日はうつぼ店主催となっており、日曜日はレベルが上がり100---120kmコースになる事が多いです。