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今回無事に佐渡国際トライアスロンを完走することが出来ましたので、
そのレポートと、ロング出場に向けた準備について書こうと思います。
私は今年、ロングの大会に出場することを目標にしていました。
最初のロング出場は6月の長崎五島(バラモンキング)で、佐渡は2戦目でした。
今回の佐渡に向けては、初のロングレースで大分緊張して臨んだバラモン以降2ヶ月間レースもなく、
中弛みして練習が不足することが予想されたので、予めトライアスロンの合宿に2つ申し込んでおきました。
いずれも2泊3日の内容で、朝からみっちり指導してもらえますし、
特にバイクは長距離の練習ができるので、佐渡に向けての自信になりました。
他にも、大会の1週間前までは、2日に一度くらいのペースで、短い距離ながらもコンスタントに走るようにしていました。
青トラの練習(朝スイム、バイク、ラン)にも参加しました。
1人の時は、息が上がらないくらいの練習しかできないので、青トラの練習で皆さんに交じって行う強化練習は、効果的でした。
合宿も、普段の練習でも、いつも大好きな人達と楽しい思いばかりしていましたが、
今改めて書いてみると、私なりに出来る準備はしていたように思います。
こうして、佐渡のレース当日には、トラブルさえなければ完走できるくらいの自信と、
良い緊張(不安とかではなく)とワクワクした気持ちを持って、スタートすることが出来ました。
レースは、苦手なスイムアップ時点の757位(927人中)から、バイクで592位、
ランで346位と徐々に順位を上げていくことができ、これはスイムが速い人には味わえない気分の良さなのですが、
そうは言ってもスイムのタイムはもう少しどうにかしたいところです。
スイムの途中(1周回終わった時)には、友人とトイレのタイミングについて話し合い、和みました。
バイクは、キツイ坂が2か所あると認識していましたが、
いずれも合宿等で練習した坂に比べればさもない坂に思えました(これは同じ合宿に参加した友人も同意見でした)。
心配していたパンクもなく、景色を楽しみながら気持ち良く走り終えることが出来ました。
佐渡に向けて準備したDHバーの効果も大きかったです。これは練習しておいて本当に良かったです。
因みに私は補給食にはドライフルーツとか干し芋を食べています。
これと、ボトルに詰めたウィダーインゼリー(4個×ボトル2本)と、エイドの食料を少し補って丁度良い感じでした。
ランでは、バイクの途中から降り出した雨で、暑さよりも寒さと足元の悪さが気になりました。
私は体調を崩すこともなく走り終えることが出来ましたが、体調(足やお腹)を崩して歩かざるを得ない場合には、
とても辛いコンディションだったと思います。
ビショビショになりながら走っていると、仲間に会えばもちろんですが、他の選手やスタッフの皆さん、
応援して下さる方とも何とも言えない繋がりを感じました。
ゴール前には、寒い中、先にゴールした青トラの皆さんが待っていてくれて、すごく嬉しかったです。
お調子者の私はここで元気を盛り返して、笑顔でゴールが出来ました。
レース前後も含めて、皆さんと一緒に佐渡に参加出来て、とても心強く、終始楽しむことが出来ました。
ありがとうございました。
レース結果ですが、エイジで2位に入賞することが出来ました。
入賞はエイジの出場者数が少ないことが最大の勝因な訳ですが、丈夫な身体と時の運に感謝して、とにかく無事に完走できたことを喜びたいと思います。
1年の間にこういったイベントがあることで、途中の不安な気持ちも含めて、準備の段階から長く楽しむことが出来ました。
トライアスロンを続けるには、いろいろ調整事も必要ですが、今後も上手く折り合いをつけながら、
気楽に、長く続けていければと思っています。
皆さま、今後ともよろしくお願いいたします。
トライアスロンデビューは2年前。
2013年のホノルルトライアスロンで30歳の節目の記念に、一度きりと思ってチャレンジしました。が、ゴールした瞬間の達成感と楽しさで、今までにないほど充実した経験をしてしまい…もう一度味わいたい!と続行を決意。 一度きりと思っていたのでバイクはレンタルで出ましたが、帰国してマイバイクを購入。
翌年にはセントレアIRONMAN70.3でミドルデビュー。
オリンピックディスタンスとはまた違う達成感で自信に繋がりました。
そして3年目。
トライアスロンを通じてたくさんの素敵な出会いがあり、そのパワフルな仲間たちの勢いに乗って2015年はIRONMAN JAPANにチャレンジしよう!と決意。
みんなが一緒なら、日本開催も最後かも?しれないし、こんなチャンスはない!と自分に言い聞かせて、「一度きりの記念に」と思ってエントリーしたのが2月のこと。
それからというもの、常に8月23日のことを考えていました。
考えてはいたものの、体調を崩してしまったり、思うようにトレーニングができずに気持ちばかりが焦っていましたが、仲間たちが頑張る姿に刺激をもらって、私も動き出さなくちゃ!と思い、スクールを検索。
トライアスロンのスクールは早朝レッスンが多い中、私の生活スタイルでは平日の朝レッスンは難しく、夜に通えるところを探していたところ、「青山トライアスロン倶楽部」に出会い、5月に駆け込みました。
青トラは、朝も夜も土日もトレーニングがあり、フレキシブルに参加できるのが自分の生活スタイルに合っていて良かったです。アイアンマンに挑戦することを伝えると、コーチからレースに向けたご指導を頂けたり、ベテランの皆さま方からもアドバイスを頂きました。
基本的に平日の夜スイムのレッスンに参加させて頂き、休みの日はラン、バイクに充てました。
そして迎えた、2015年8月23日 ?IRONMAN JAPAN
5月に青トラの仲間入りをさせて頂いてから、限られた時間ではありましたが、やれるだけのことはやってきた!そんなことを思ったら、スタート前に洞爺湖に昇ってくる朝日を眺めながら涙が出てきました。
アイアンマンレースはスタートラインに立つことが素晴らしいことだ、と聞きますが、振り返ると、まさにそのとおりだと思いました。ここに来るまでの道のりにとても意味があったと思いました。
<SWIM>
湖を泳ぐのは初めてで、浮かないとか、洞爺湖は水深が深いから怖いとか、様々な評判を聞いていましたが、波がなく穏やかで、透明度も高く、いつも青トラのレッスンで泳ぐ長水路を泳いでいる感覚で、とても気持ちよく泳ぐことができました。
過去に2度過呼吸になった経験があり、不安はありましたが、これまでのスイム練を思い出して、落ち着いて順調にスイムアップ。
<BIKE>
3種目のうち、1番苦手でありながら、今回はコースが変わったということで色々な情報が飛び交い、ますます不安は募るばかり。
練習ではとにかく登りを多く取り入れてトレーニングをしてきました。
バイク序盤から内臓に異変が起こり、早くもロングの洗礼を受けてしまいました。
そして、噂通りの果てしなくアップダウンの続くコース。
後半は制限時間との闘いでした。
過酷なコースに加え、容赦なく降り出す雨に何度も心が折れそうになりましたが、とにかく諦めずに前へ!とがむしゃらに漕ぎ続け...なんとかランへ繋げることができました。
<RUN>
走れる嬉しさからか、想像以上に足が軽く走り出せました。
とはいっても、初めからひたすら登り。足を使いすぎないように、と歩いたり、走ったり、繰り返し。
間もなく、日も暮れ始め、気温も下がり、寒気が襲ってきました。
内臓も不調のまま思うように補給もできず、後半は足も攣り始めたり、と1番好きなランでしたが、苦しかったです。それでも、ゴールを目指して一歩一歩進み続けました。
ゴール会場が近づき、仲間の顔が見えると、苦しさなどすっかり忘れていました。
そして、フィニッシュの瞬間は、「感謝」の気持ちでいっぱいでした。
もちろん、走りきった達成感もありましたが、本当に一人だけの力でのゴールではないことを実感しました。
このチャレンジに際して、本当にたくさんの方々に支えてもらいました。
挑戦のきっかけをくれた仲間、一緒にトレーニングして共に挑戦した仲間、ご指導頂いたコーチ、
応援してくれた仲間・友達、理解ある職場、体のメンテナンスをしてくれる先生、いつも支えてくれる家族、そして、素晴らしい舞台を用意してくださったIRONMAN JAPANに感謝の気持ちでいっぱいです。
「一度きりの記念」のアイアンマンではありましたが…私のRoad to IRONMANはまだ続いているのかな?
これまでずっとやりたいと思いながら、なかなかハードルが高くて踏み切れなかったトライアスロンへの挑戦。
ここ5?6年ほどロードやトレイルのランニングに取り組んできましたが、だんだん記録も頭打ちになり、「新しいことに挑戦するなら、まだ体力のある今のうちだ」と思い、3月に一念発起。練習場所とメニューが多彩で、自由度が高い青トラの門をたたきました。(あと、チームウェアが格好いいのにも惹かれました。)
関口さんによる「初めてのトライアスロン」のガイダンスを聞いた2日後には早速入会。
よく分からないバイクの購入も、さまざまな付属品とともにセット購入することができ、楽でした。それにしても、「完成車」というのにペダルがついていないのにはビックリ。
これまでスイムもバイクも経験がなかったので、どの程度練習すれば大会に出られるようになるのか、全く分かりませんでしたが、夢は大きく3年でアイアンマン、とりあえず半年後までにオリンピックディスタンスの大会に出よう、と決め、8月23日の「うつくしまトライアスロンinあいづ」を当面の目標に定めました。
あとは練習あるのみです。一番の課題はスイム。はじめの頃は、クロールで50mを泳いだだけで息が切れ、とてもオリンピックディスタンスのスイム距離1.5キロを泳ぎきるイメージは持てませんでした。
「これはまず、泳ぎの技術を習得しないとどうにもならないな」と思い、青トラのBasic Swim練習会などで泳ぎ方を学ぶとともに、これまでの朝ジョグを朝スイムに切り替え、とにかく泳ぐ頻度をあげるようにしました。3月から8月の大会までに泳いだ日数は77日。だんだんと泳げる距離が伸び、1.5キロを続けて泳げるようになったのは8月。ぎりぎり間に合いました。
また、大会に出るためには、ウェットスーツを着て泳いだり、オープンウォーターで泳いだりする練習も必要です。これには青トラのウェットスーツスイム練習会や、オーシャンスイム練習会がとても役に立ちました。
バイクも初めてでしたので、最初はお尻が痛いのと、足がペダルに固定されているのに慣れず、立ちゴケを繰り返していましたが、青トラのローラー台や実走の練習会に加え、休みに100キロ超のロングライドをこなすことで、だんだん走れるようになってきました。
さらに、練習として、7月にスプリントディスタンスの昭和記念公園トライアスロン大会に出場。背が立つプールでのスイムなので安心感があります。本番の半分の距離を1時間15分47秒で完走。種目間のトランジションの実践練習もできました。スイム、バイク、ランと尻上がりに順位を上げられたのもよかったです。
こうして自分なりに、できるだけの準備はして迎えた、うつくしまトライアスロン大会。
前日、車にバイクを積んで自宅を出発し、5時間ほどで前日受付会場の猪苗代湖天神浜に到着。受付開始時間まで時間があったので、スイム会場の猪苗代湖を試泳。湖なので波がないのかと思っていたら、結構、周期の短い波があって泳ぎにくく、不安になりました。
受付を済ませ、バイクを預託します。この大会はスタートとゴールが離れているので、選手は、スタート地点付近に泊まるか、ゴール地点付近に泊まるかを選ぶ必要があります。私は、ゴール地点付近に泊まることにしていましたので、前日にバイクをスイム会場のバイクラックに預けるのです。
それから、磐梯山を望むバイクコースを車で下見しながら、宿泊場所の会津若松に移動。あとは宿泊先で最終準備を整え、早めに夕食を食べて就寝しました。
そしていよいよ大会当日。4時半に起床し、ゴール地点の会津大学に向かいます。天気はあいにくの小雨。暑くないのは助かるのですが、バイクで濡れた路面を走るのは落車の危険が高まるので、気をつけないといけません。
ラン用品を預託して、6時に大会バスでスタート地点の猪苗代湖天神浜に移動。バイクラックで預託したバイクのセッティングを確認した後、ウェットスーツを手に持ち、スイムスタート地点まで裸足で歩いて向かいます。
7時半に入水チェックを済ませ、計測用のアンクルバンドを足首に巻いて、試泳。小雨ながら風はほとんどなく、湖面は前日とはうって変わって波もなく、静かです。よかった?。
8時から開会式。準備運動のエアロビクスの後、再度試泳。年齢別に3つのウェーブに分かれて、順次、沖合80mほどのスタート地点に移動。フローティングスタートですが、遠浅なのでスタート地点ではまだ足がつきます。9時から2分おきにスタート。私は最終の第3ウェーブで、9時4分にスタートしました。
スタート直後は、心臓がバクバクして、周りの選手がいろいろな方向に泳いでいる上、ヘッドアップしてもなかなかブイが見つからず、パニックになりかけましたが、一度、立ち泳ぎをしてしっかり方向を確認して、リズム重視で泳ぐようにしたら、徐々に落ち着いてきました。
スイムコースは、浜と平行に設置された440m間隔のブイを1周半して、あとは浜まで180mほど泳ぐコース。440×3+180で1.5キロになる計算ですが、これはあくまでまっすぐ泳いだ場合。私はバトルを避けようと、なるべく人の少ない外側を泳いでいだら、結局500m近く余計に泳ぐ羽目になりました(涙)
39分ほどかけてようやくスイムアップ。後ろを振り返るとあまり人がいません。まあ、でも、これで何とか完走はできそうだなと、ちょっとホッとしながら、水深の浅いところでウェットスーツを脱ぎ、肩にかけて、小走りでバイクラックに向かいます。
サングラスをして、ヘルメットをかぶり、バイクシューズを履き、給水と補給を済ませて、バイクを押して乗車地点へ。バイクパートのスタートです。
バイクコースは、最初こそカーブが多いですが、13キロ過ぎからは、下り基調の走りやすい道が続きます。あいにくの天気で、磐梯山は見えませんでしたが、のどかな田園風景に心癒やされ、沿道の声援に励まされて快調に進みます。平均時速は35キロを超え、バイクパートで120人ほど抜きました。
無事落車せずに40キロを走りきり、バイクをラックにかけて、ランシューズに履き替え、最後のランパートに移行。会津大学周囲を走る1周4.5キロのランコースに駆けだしていきます。
走り出しは、バイクの後なので、脚が思うように動きませんでしたが、それでも、ピッチ重視で淡々と走っていると、だんだんと走りの感覚が戻ってきました。折り返しのすれ違いで、青トラウェアを着た仲間を発見。「青トラ、ファイト!」と声をかけます。仲間を励ますことで、自分も励まされます。
そしてスタートから2時間37分16秒後にゴール!
念願のトライアスリートになることができました。
ゴール後は、ガリガリ君に加え、桃やスイカが食べ放題。着替えをして、13時40分から閉会式と交歓パーティ。トライアスリートたちの旺盛な食欲で、会津名物のソースカツ丼や夏野菜たっぷりのカレーが瞬時になくなりました。
最後に友好大会の宮古島トライアスロン大会への参加をかけたじゃんけん大会。残念ながら1回戦負けでしたが、いずれ自力で出場したいと思います。
トライアスロンを始めて、人生がこれまで以上に充実したものになりました。行き届いたサポートをしてくれた青トラには心から感謝しています。多くの新しい仲間との出会いにも恵まれました。まだまだ挑戦は続きます。引き続きどうぞよろしくお願いします!