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まずは僕がトライアスロンを始めたキッカケから。
遡ること2年前。地元品川の街なかに貼り出されていた青トラ(Earth)さん主催の
「お台場オーシャンスイムクリニック」のチラシを目にし何気なく参加してみたこと。
その理由は単純に「近いし面白そうだな?」。中学・高校と陸上部、社会に出てからも
直近10年ほどは走っているし、学生時代にはスキューバダイビングもやっていたので
「まあ何とかなるだろう」と軽い気持ちで参加した結果・・・見事に撃沈でした。
300メートルの模擬レースでしたが、まともに泳げたのは最初の50メートルだけ。
あとはライフセーバーのお兄さんに「やめますかぁ?」と何度も声をかけられながらも
リタイアだけは自分のプライドが許さなかったので、残る250メートルを平泳ぎで何とか
アップ。すっかりゴールしていた僕以外の参加者に浜辺から気の毒そうに眺められ、
結局リタイア以上にプライドがズタズタになるという本末転倒な結果に。もう悔しくて
恥ずかしくて・・・すぐさまコナミの水泳教室に通いましたよ!そこで基礎の基礎から
教わり、翌年の1シーズンはアクアスロンを5戦と、トライアスロンの雰囲気を掴むために
キサトラリレーランパートに参加し、2016年を終えました。
そしていよいよ2017年。デビュー戦は5月の伊豆大島スプリントでしたが、お約束の強風の
ためスイムパートがキャンセル。ラン+バイク+ランのディアスロンになったため、
実質的なデビューは6月の館山わかしおトライアスロンに。
スイムでは、右呼吸しかできない僕に右からの意地悪な波が押し寄せ軽いパニック状態、
途中平泳ぎを挟みながらヘロヘロ状態でスイムアップ。バイクはというと、直前までの
豪雨で至る所に水溜りができ、バイク初心者につき水溜りと急カーブは止まってしまう
ほどのスピードで何とかクリア。
しかし悪コンディションがかえって功を奏したのか、ランは多少のトラブルはあったものの
脚を残しフィニッシュ。初ODにして3時間切り(2時間51分)を達成できました。
そしてOD第2戦の「木更津トライアロン」・・・舐めてました。
キサトラは、バイクで航空自衛隊の滑走路を疾走できる唯一の大会。海も穏やかだったし
滑走路は超フラットで気持ちいいし、調子こいていたら次第に気温が高くなりランパート
時には真夏の空でした。練習でブリックランもやったことないし給水や補給食のタイミング
も適当だし、おそらくバイクパートまでにエネルギーをほとんど使い果たしていたと思われ
ます・・・結果、得意のランで大失速!走っていて嫌になりましたよ、あーなんでこんなに
走れないんだ!って(笑)。脚という脚が痙攣しフィニッシュ後は暫く動けませんでした。
水分欲求も止まらず、軽い脱水症状を起こしていたのかもしれません。
トライアロン・・・奥が深い・・・ミドル、ロング・・・想像ができません。でも青トラの
先輩方にロングの素晴らしさや経験談などをお伺いするにつけ、「俺もいつかはそう
なりたい!」というモチベーションをもらっている今日この頃です。
これからもよろしくお願いします!
■トライアスロンを始めたキッカケ
30代に入り何か新しいことをやってみたいなというのがキッカケでした。
今まで水泳、ハンドボール、躰道、ゴルフなどをやっていたのですが、
何か違う事を始められないか色々な競技を調べ、
1度に3種目ができるのが面白そう・・・というのがきっかけでした。
■レース当日までの道のり
青トラに入会させて頂いたのは2017年2月頃でした。
ランが特に苦手だったので、ランを中心に練習に参加していました。
走り方のコツや意識するポイントなどを毎回レッスンで的確に教えて頂きありがとうございました。
当初は「1年後位にレースに出られれば」と考えていたのですが、
4月頃に「初心者にぴったりのレースが2か月後にあるよ」と教えて頂き、
新年度になったし、何事もまずやってみないとわからないと踏み切り、不安とワクワクが
半分ずつの状態で大会へエントリーさせて頂きました。
5月には八景島で実際に海で泳ぐレッスンに参加させて頂き、
今までの海で遊んで泳いでいた感覚や、プール練習との感覚と若干ことなり、
事前に練習できてとてもよかったです。
■レース当日
レース前日は青トラのツアーに参加しました。
初心者?ベテランの方が参加されており、色々と教えて頂き安心してレースに臨めました。
レース当日は雨で1時間遅れでのレース開始となりましたが、
雨の影響もあまり感じずスイムは楽しく終えることができました。
バイクの40kmは練習でも走ったことのない距離・・・
なんとかなるかな?!とマイペースで挑みました。
結果的にはバイク9周の所を10周走ってしまったりとミスもあったのですが、
応援してくれる方々より元気を頂き、なんとか全種目完走することができました。
来年はもっと遠い開催地や海外の大会にも参加できたら良いなと思います。
本当にありがとうございました。
きっかけは:
それは行きつけの広尾のスペインバルだった。カウンターの横にいたアラ五十男がトライアスロンの話をしていた。なんでも石垣島で行われるトライアスロンにはリレークラスという3人で組んで出るレースがあり、それに2〜3年前から出場しているとか。出たいという友人が多いので来年から2チーム体制にしたいのだが、自転車担当がいないので探している、という話。
「それ、私が手伝えるかも」と手を挙げた。普段はのんびりツーリング程度しかしていなかったが、その3年前にアメリカから帰国するまでの20年間、結構まじめにロードバイクに乗っていて、センチュリー・ライドやマス・ミーティングの類には何回も出ていた。
しかし純粋のスピードレースに出たことはなかったし、私はその時すでに60代も半ば。30代、40代の他のチーム員の足を引っ張ることになるのではないかという、一抹の不安もあった。
石垣島にて:
「伊達さん、40キロをなん分くらいで走ります?」と、チームのランニング担当、元慶應大学陸上部だったというアラフォー男に聞かれた。それに応じてウォームアップをして私の自転車を待つのだとか。しかし見当がつかない。カリフォルニアでは平均30キロ超えを目標に走っていたが、日本では公道上では平均20キロも出ないのだ。環境条件も違うが当時とは年齢も違う。「そうねえ、120分を目標に頑張ります」としか答えようはなかった。
しかし本番で私は速かった。おそらく1時間半をかなり切るタイムでゴールしてしまった。となると、トランジッションエリアに我がランナーの姿はない!そりゃそうだ。予定より30分以上も早いのだから。エリアの外にチームの応援団長(行きつけの居酒屋の大将)の姿を見かけたので大声で叫ぶ。「え、早いじゃないの。ランナーはまだホテルにいるよ。ちょっと待って、今携帯で呼ぶから」てなことに。
おそらく数分だったろうが、待つ身には30分にも思えた。血相を変えて飛んできたランナーに「伊達さん、早すぎるじゃないすかー!ウォームアップできてない!」とまず怒られたが、ホテルから走ってきたのがウォームアップになったんでしょう、非常に良いタイム(44分台)で最後を締めくくってくれました。
その晩の打ち上げの席でも散々言われて思ったのです。こりゃ一人で三種目やるしかないな、と。
港区のトライアスロン教室:
そうは云っても、走る、泳ぐに関してはまるで経験がないので、どうすれば良いのか学ぶ機会を探していた。そして出会ったのが港区の関連団体が主催する「初心者のためのトライアスロン教室 in 房総」。一泊二日の合宿であった。
この催しの実質的主催者である青トラの関口さんとも、そこで知り合うことになった。この人物、ある組織なり運動を一身に背負っているというオーラを初めから発していた。私がいたシリコンバレーに多く苦しくなったらいたタイプで、アントレプレナーと呼ばれている人たちだ。誰も通ったことのない道を自ら切り開きながら目的に向かって進み、いかなる困難も乗り越えるぞという強い意志を持つ。
合宿では現実の厳しさを思い知ることになった。このトライアスロン教室の「初心者」というのは、ジョギングくらいは普段からやっている人、プールで1,000メートルくらいはクロールで泳げる人、というくらいの意味だったのだ。私にとっては続けて走ること自体が困難。5分くらいが限度で、その先は歩いた。初めてのウェットスーツを着てのオーシャンスイムでは目標のブイの遥か手前で足がつり、レスキュウお姉さん(女神に見えました)のお世話になってしまった。結果、最後の仕上げであるアクアスロンでは non-starter での応援組となった。
この経験で得た教訓は、しばらくは体力増強を目的に生活習慣を変えること。週に一度くらいはジョギングをやり、プールで1,000メートルくらいは泳がねばならない。そして時が来たなら、青山トライアスロン倶楽部に加入し、実戦に備える。
突然の病魔を経て:
しかし、時が来る前にわが身に異変が起きた。人間ドックで前立腺癌の疑いが見つかり、精密検査で確定。自転車乗りには多いらしい。摘出手術を受けた後のリハビリを経て青トラにデビューを果たしたのは今年の2月になっていた。
クラブの大島合宿では再び現実の厳しさを思い知る。まず、自転車でのスピードとスタミナが、私のイメージの中にある私の走りにならないのだ。こんなはずでは、、と思いながら、大島一周ではズルズルと遅れて、自転車歴うんヶ月というカワイイ女子とテール競争をしていた。その自転車で足を使い尽くした後のランでは脚が前に出ないのを発見。100mくらいで歩いてしまった。スイムもまだまだの実力不足で、海を怖いと感じた。
その教訓を元に今年の館山トライアスロンにてスプリントクラス初デビュー。もちろん目標はスイムから生きて還り、完走すること。そのための作戦はスイムではバトルをしない、苦しくなったら平泳ぎ。自転車では無理せずランに備える。そしてランでは腕につけたスマートデバイスで脈拍を測り、170を超えないようにして走る。
私の後ろからは大会役員が自転車でついて来ていた。「本部、本部、ランナーまだ走ってます」との声を背に聞きながら、しかしついにゴール。大会役員、ボランティアの方々が総出でハイタッチのトンネルで迎えてくれたし、青トラ仲間の美女が伴走ゴールで出迎えてくれた。私は70歳にして、2017館山トライアスロンの最終フィニッシャーとして完走を果たしたのであった。