4月23日、全日本トライアスロン宮古島大会で、初のロングディスタンスのトライアスロンを無事完走することができました。これまでの歩みを振り返ってみたいと思います。
1 ロング挑戦まで
トライアスロンを始めようと決心したのは、2015年の3月。青トラの門を叩き、ウェットスーツやバイク一式を購入。苦手なスイムや初めてのバイクを中心に月4回のレッスンを受け、自主練習にも取り組みはじめました。
目標は「3年でロング完走」。3年計画で段階的に取り組むこととし、1年目はスプリントとオリンピックディスタンス(OD)、2年目はミドルディスタンス、そして3年目にロングディスタンスに挑戦という計画にしました。
トライアスロンデビューの2015年度は、7月に昭和記念公園トライアスロン(スプリント)、8月にうつくしまトライアスロン(OD)を完走。しかし、スイムはそれぞれプールと湖で、海ではありません。
2016年度は海スイムとミドルの大会に挑戦することにして、4月に石垣島トライアスロン(OD)、5月に新島トライアスロン(OD)、7月に宮崎シーガイアトライアスロン(OD)に出場。初ミドルとなる9月の佐渡国際トライアスロンBタイプも無事完走することができました。
佐渡Bを完走し、2016年度の大会シーズンを終えた2016年10月。2017年の宮古島大会のエントリーが始まりました。とにかく申し込まないことには当たらないよね、と申し込んだら、なんと12月22日に一発当選のメール。一足早いクリスマスプレゼントでした。
これで、3年目の目標となるロングの大会が決定。1月からは宮古島対策の練習に本格的に取り組みはじめました。
一番力をいれたのがバイクです。一番競技時間が長い上、バイクをいかに楽に走りきるかが、最後のランにも大きな影響を与えるからです。週末のロングライドや平日のローラー台に加え、2月に1回、3月に2回の合宿に参加。走行距離は、1月755キロ、2月551キロ、3月665キロ。やはり走った分、力はついたと思います。
スイムは、3月までは技術の向上に力を入れ、4月に入ってから海での実戦練習に取り組みました。4月上旬の保田と茅ヶ崎での海練習は、低い水温と、激しいうねりや波で、厳しい条件でしたが、おかげで本番は「あの海に比べれば」という気持ちで泳ぐことができました。
ランは、1月、2月と脚の調子が思わしくなく、走りこみ不足で、3月に出場した鹿児島マラソンも初マラソン以来のワースト記録でしたが、ロングのトライアスロンの場合、それほど速く走る必要はないので、逆に「あれだけボロボロでも完走できた」というのを安心材料にしようと思いました。
こうして、いよいよ4月21日、宮古島への青トラツアー出発の日を迎えました。
2 前々日
大会前々日の4月21日。羽田空港から6時55分発の直行便で宮古島へ。約3時間のフライトです。
宮古島空港でレンタカーを借り、3泊する「マリンロッジ・マレア」へ。スタート会場となる東急リゾートに隣接するホテルです。こういう絶好の条件のホテルに泊まれるのが青トラツアーの良さですね。
ホテル到着後、先に自転車便で送っておいたバイクを組み立てます。壊れずに無事着いていたのでホッとしました。
ランチ後、バイクを車に積んで伊良部大橋の試走へ。3.5キロと、無料の橋としては日本一長い橋です。風の影響でバイクがあおられやすいので、一本松コーチからは、しっかり体重を前輪にかけて安定させるように、とのアドバイスがありました。橋を渡った先の伊良部島周回の落車注意箇所もしっかりチェック。
試走を終え、ホテルに戻ってチェックイン。16時過ぎにJTAドームでの選手登録に向かいます。受付を済ませ、大会期間中のIDとなるリストバンドをつけてもらい、ナンバーカードやスイムキャップ、トランジションバックなどをもらいます。
その後、ブース巡りをして、18時40分から競技説明会、19時から開会式、そしてワイドーパーティー。パーティーではオリオンビールや泡盛が飲み放題。食べ物も充実していました。前々日なので、気にせず飲めるのはありがたいです。1時間ほどいて、その後、2次会の「郷家」へ移動。22時頃まで盛り上がりました。
3 前日
大会前日は6時15分に起きて、大会と同じ7時からスイム会場の試泳。小雨がぱらついてちょっとひんやりしていますが、水温は22?23度あって、海中の方がむしろ温かい感じです。海の透明度は最高で、海底や魚の姿までくっきり見えます。泳ぎやすそうですが、潮流が結構あるのが要注意です。
400mほど泳いで、スイムアップからの動線を確認してホテルに戻り、朝食後、レンタカーでバイクコースとランコースの下見へ。この下見が本番で大変役に立ちました。
下見を終え、コンビニで補給食の買い出しをしてホテルに戻り、15時過ぎに、バイク預託へ。バイクを自分のナンバーの場所にセットし、雨よけカバーをかけ、洗濯バサミでしっかり固定。これで準備完了。
ホテルに戻り、18時からバイキングの夕食。ご飯をお代わりしてしっかり食べ、21時過ぎには就寝しました。
4 当日スタートまで
4月23日、いよいよレース当日です。4時起床のつもりでしたが、3時半に目が覚めました。ホテルの朝食はこの日は4時前から食べられるので、まずは朝食。
ホテルロビーに5時に集合し、真っ暗な中、ヘッドライトをつけて出発。大会会場に着いたら、まずは左腕にマジックでナンバリングを受け、計測チップがついたアンクルバンドをもらいます。
その後、バイク置き場に行き、セッティングをして動線を確認。バイク用のトランジションバックは、ホテル中庭に設けられた袋掛けの自分のナンバーのところにかけておきます。
5時半から競技実施検討委員会が開かれ、正式に今大会を、スイムを含むトライアスロンとして実施することが確定。選手達から歓声が上がります。せっかく宮古島まできたんですから、やはり3種目やりたいですよね。
スイムチェックインは6時10分から50分まで。一度チェックインするともう戻れません。チェックインして、そのまま入水して軽く試泳。バタ足をして心拍をあげておきます。
選手達が続々と集まってきます。宮古島トライアスロンのスイムはビーチからの一斉スタート。一応、最前列はエリート、コースロープに近い側が速い人(1時間以内で泳ぐ人)、遠い側が遅い人(1時間以上で泳ぐ人)となっていますが、もう混然一体となっている感じです。私は真ん中辺りに位置取りました。
午前7時、号砲とともに、1552名の選手が一斉に白いビーチを海に向かって駆け出して行きます。第33回全日本トライアスロン宮古島大会のスタート。長い旅の始まりです。
5 スイム(3キロ)
宮古島のスイムは、ちょうど四辺形の3辺を回る感じの1周コース。最初のブイまでが600m、そこから第2ブイまで1100m泳ぎ、最後、浜に向かって1300m泳ぐことになります。
海の透明度が高いので、海底や、前を泳いでいる選手の足はよく見えるのですが、とにかくバトルが凄い。リカバリーの手を入れようとしても、他の選手の背中に当たってしまいます。入水した手も前の選手に当たって、突き指しそうになりました。
そんな中、頑張って泳いでいたら、心拍が急激に上がって過呼吸気味に。あわててペースを落とし、とにかくリラックスすることを心がけて呼吸を落ち着けます。
それにしても、第1ブイになかなか到達しません。第2ブイまで1時間以内にいかないと足切りされてしまうので、ちょっと焦ってきました。
そのうち、ちょっと選手がバラけてスペースができたので、しっかりヘッドアップして方向を確認したら、どうやら気がつかないうちに、第1ブイを回って第2ブイに向かって泳いでいたようです。あー、良かった。
ほとんどノーキックの美しい泳ぎの選手を見つけました。この選手の左腰のあたりのポジションをキープし、ドラフティング。このままスイムアップまで連れて行ってもらうつもりでしたが、左から、バタ足の激しい、ガタイのいい兄ちゃんが突っ込んできて、その間に先に行かれてしまいました。残念?。
だんだん浜が近づいてきます。なんとか無事に泳ぎきれそうです。スイムアップして、「さて、どれくらいで泳いだかな」と、左手のガーミンを見ようとしたら、あるのはベルトだけ。そう、ガーミンの本体が無いのです!
私のガーミンは、バイクに付け替えられるよう、本体を回すと外れるようになっているのですが、激しいスイムバトルで本体が外れて海中に落ちてしまったようです。これはかなりショックでした。結局、この後のバイクやランは時計無しのレースを余儀なくされることに。
ウェットスーツと水着を脱ぎ、着替えテントでバイクウェアに着替え、ドリンクを飲み、餅を1つ食べて、トランジションに向かいました。
6 バイク(157キロ)
バイクをピックアップする際、「今、8時20分です」というアナウンスが聞こえました。スイムが苦手な私にしては上出来です。「よし、いい感じだ」と思いつつ、バイクパートをスタート。
バイクは長丁場なので、最初からあまり頑張らず、98キロ地点の東平安名崎まで抑え目のペースで行き、ここでトイレ休憩して、残り60キロ弱をしっかり走ろうと考えていました。
ガーミンが無く、スピードもケイデンスも心拍も分かりませんが、体感ではいい感じで走れています。すぐに伊良部大橋へ。稲荷寿司とお餅、スティックパンで補給します。保冷ボトルに入れたドリンクも良く冷えていて美味しいです。
トップグループが早くも折り返してきます。一本松コーチの姿を発見し、声援を送ります。
この日の風は北北東の風4m。強風だと大変なのでしょうが、それほどあおられることも無く、伊良部島へ。一昨日チェックした落車注意箇所は慎重に通過しました。
再び伊良部大橋を戻ってきて、宮古島を北上します。途中のエイドで水をもらい、身体にかけて冷やしながら走ります。向かい風区間なので、スピードは出ませんが、淡々と回して、宮古島北端の池間大橋へ。ここでも稲荷寿司とお餅で補給。
同い年のチームメイト、日下部さんとすれ違いました。スイムの早い日下部さんとここですれ違うということは、悪くないペースできているということです。
だんだんトイレに行きたくなってきましたが、休憩予定ポイントの東平安名崎までは我慢しようと走り続けます。東平安名崎までは追い風基調。補給を続けながら走ります。
東平安名崎でトイレに行き、ちょっと一服。ここで全体の約3分の2、ここからが頑張りどころです。アップダウンを繰り返して、来間島を往復して島1周が完了。コースは2周目に入ります。
残りは約30キロ。さすがに疲れてきました。腰が痛くなってきて、DHポジションが維持できません。ペースも落ちてきた感じですが、ガーミンが無いので速度が分かりません。とにかく、辛抱してケイデンスを維持することだけを心がけます。
だんだん内臓にもダメージが来て、補給ができなくなってきたので、「これはランで苦労するな」と思いました。さらに気になるのが、右足ふくらはぎ周辺の違和感です。最初から足が痛い状態でフルマラソンを走ったことはないので、かなり不安でした。「どうしても痛かったらロキソニンを飲むしかない」と考えていました。
バイクゴールの宮古島市陸上競技場が近づいてきます。無事157キロを走りきって、トランジションエリアへ。ちょうど日下部さんがランをスタートするところで、時刻を確認すると、14時ちょっと前とのこと。
制限時間まではまだ6時間半もあります。この時点で、「とりあえず何とか完走はできるだろう」と思いました。レースはいよいよ最終のランパートへ。
7 ラン(42.195キロ)
ランコースは、21キロ強のコースの折り返し。
バイクの最後の方で違和感を感じた右足ふくらはぎは、走り出すと全く気になりません。助かりました。ガーミンがないのでペースは分かりませんが、ピッチ重視で淡々と走ります。
日が差してかなり暑いので、エイドでスポンジの水をかぶり、頭に巻いたクールチューブに氷を入れ、後頭部から首筋を冷やします。
11キロ地点では、関口代表が、私の好きな曲を、スピーカーで大音量で流しながら併走して応援してくれました。これはテンションあがりました。
それでも、暑さと疲労でだんだんペースが落ちてきて、13キロ地点を過ぎたところの激坂で、「あー、もう走れない」と思い、歩きに切り替えました。
この辺りからだんだんムカムカしてきました。ウルトラマラソンやロングトレイルの終盤に経験していたあの感じです。こうなると、無理して走っても心拍数が上がって吐き気を誘発するだけなので、歩きと走りを交互に繰り返しながら進むしかありません。
折り返し地点からは吐き気が酷くなり、ときどき道端にうずくまる有様。それでも吐き気には周期があるので、吐き気が落ち着いたら走るようにしました。いろいろ試行錯誤しているうちに、「100歩走って50歩歩く」ペースなら何とかなりそうだと分かりました。とにかく前に進んでさえいればゴールは近づくと、目の前の「100歩・50歩」の繰り返しに集中します。
39キロ過ぎ、残り3キロの地点で、後ろから走って来た、チームメイトの村上さんに追いつかれました。さすが、ロングのベテランです。一旦抜かれましたが、「あと3キロなら何とかなる」と思い、再び追いついて並走状態に。
ここまで来たら、一緒にゴールして、村上さんお得意のジャンピングフィニッシュを2人で決めましょう、と話しながら、お互いに励ましあってゴールを目指します。
だんだん日が暮れてきます。ゴールの陸上競技場が近づいてきました。日没ギリギリにはゴールできるかな。走れメロスの心境です。
ゲートをくぐり、陸上競技場を4分の3周して、最後の力を振り絞って、ダブルジャンピングフィニッシュでゴール!
12時間5分36秒。長い旅がようやく終わりました。
8 レースを振り返って
全体に気象条件は悪くなかったと思いますが、完走率は81.4%と、歴代3番目に悪かったようです。
種目別に見ると、スイムはバトルに苦しんだものの、途中でうまくドラフティングすることができたこともあって、私にしては上々の結果でした。
バイクは、ガーミンがなく、速度もケイデンスも心拍数も分からず、完全に体感だけで走りましたが、上手く走れて、245人を抜きました。
最後のランは、吐き気に苦しみ、歩きをいれながら我慢のレース。苦しい中でもなんとかまとめられたのは、途中の関口代表のスペシャルBGM応援や、チームメイトと折り返しで声をかけあったり、ラスト3キロを一緒に走れたことが大きいと思います。沿道からの「青トラ、頑張れ!」の声にも随分励まされました。
トライアスロンは個人競技ですが、同時にチームで闘う競技でもあると感じました。ここまで連れて来ていただいた青トラとコーチ陣、そして素晴らしい仲間に心より感謝します。本当にありがとうございました!