Way to triathlon…
2015年末、ふと仕事ができる人はトライアスロンをやっていそうだな、そういえばいつかトライアスロンをやってみたかったな、そんな風に考えた時があった。すると働いているカフェのお客様がトライアスロンの話をしていた。そこで話しかけたのが、私がトライアスロンをはじめるきっかけとなった瞬間である。
トライアスロンをしようと決めたものの、まったく運動していなかったところからトレーニングを自分の日常に落とし込むまでのきっかけがつかめなかった。そんな中、2016年2月、私は仕事の研修旅行でオーストラリアはサンシャインコースと、そしてメルボルンへと来ていた。そこで出会う、トライアスリートたちのかっこよさ、そして生活の中に自然とスポーツがあるヘルシーなライフスタイルにインスパイアされ、現地で本格的に練習を始めた。あとで分かったことだが、メルボルンでの滞在先となったセントキルダはアイアンマンメルボルンのゴール地点だったのだ。不思議な縁が、私をトライアスロンへと導いている。そんな気がした。
そこから自分なりに、そして青山トライアスロンチームやコーチの皆さんに支えられ、デビュー戦まで日々を重ねていった。そして無事に完走した宮崎シーガイアトライアスロンを振り返ってみようと思う。
-Before race-
本番1週間前から緊張してあまりよく眠れず、また今までの練習で十分だったのか、自問自答。そんな中、お世話になったコーチや仲間、友人からの励ましに元気をもらった。「しおりなら挑戦を楽しめるでしょ?」「自分自身に勝って!」と言われ、奮い立つ。
気持ちが揺れながらも大会前日を迎え、無事飛行機に搭乗した。フライト中、村上春樹の『職業としての小説家』を読む。その一節に「フィジカルな力とスピリチュアルな力は、いわば二つの車の両輪なのです。それらが互いにバランスを取って機能しているとき、最も正しい方向性と、最も有力な力がそこに生じることになります。」とあった。仕事が出来る人になりたくてトライアスロンに興味を持ったものの、なんとなく漠然としていた。しかし、トライアスロンでフィジカルな側面を鍛えることが、広い意味での仕事を有効に進ませることにつながるのかもしれない。
宮崎に着くとお世話になっている青山トライアスロン倶楽部のチームにうまく合流でき、よしえさんとも再会。よしえさんは私にトライアスロンを始めるきっかけをくれ、そしてここまで来ることができた大切な人。同じウェア、そしてなにより再会が嬉しかった。宮崎の美味しいごはんと素晴らしいホテルに感激しつつ、1週間あまり寝不足だったため、ベッドに入るとすぐ眠ることができた。久しぶりの快眠だった。
翌朝目覚めると、雨。でももうここまで来たのだから、あまり怯まなかった。バイクをトランジションエリアに置き、トランジションの準備をしていると「トランジションエリア封鎖まで10分です!」との声が聞こえてきた。ここで初めて、いよいよ大会に向けての時間が迫っていることを感じる。用意を終え、FUJIの自転車にまた後でねと言った。
エリアが封鎖され、ウェットスーツを着た選手たちが試泳へと向かう。ウェットスーツを着るのに時間がかかってしまい、急いで海へ。入水しようとすると本部から放送が入る。「雷雲が確認されたため、選手は早く海から出て下さい!」どうなるのだろう。
-Swim 1500m-
スタート直前、大会本部からはSwimは通常通り、そしてレース決行との判断がくだされた。スプリント、男性と次々にスタートが切られる。もうここまで来たら楽しむしかないと再び思い直して、合図を待った。それでも緊張に内心ふるえる私にとって、側にいる、そして遠くにいる仲間の存在がどれだけ大きかったか。スタートの合図がなり、海へと駆け出す。始まった。飛び込んだ海はおそらく天候により、濁り、そして波が少しある。久しぶりに泳ぐ海。焦らずに楽しむことにした。すると、なにも苦しくなく進む。途中、ロープにつかまって休む人が横目にうつる。そうか、休んでもいいのか。少しまた気持ちが楽になって、とにかく泳ぐのが楽しくてたまらなくなってきた。もう順位とかタイムはどうでもいい。自分の弱さに勝って、楽しむことだ。そうしているうちにあっという間に2周、1500mが終わっていた。
-Bike 40km-
海から出て、トランジションエリアへ。ここでは落ち着いて、Bikeに移れるようしっかりゆっくりと準備。途中チームの仲間に会い、嬉しくなる。雨のBikeスタート。森の中を抜け、そして有料道路のフラットなコースが続く2周回。実は1番の懸念がBikeパートだった。他の2種目に比べ練習もあまりできておらず、どれくらいのタイムで考えていいかも分からないままだった。そこでひとまず、27歳なのだから時速27kmはキープしようというふわっとした目標を事前に決めていたのだった。走り出してみると案外快調に進む。実は競技が始まる前、会場まで雨の中自走で向かっている時、ふと思ったのだ。私は案外逆境に強いのかもしれない。だとしたら、雨の今日は私に味方する。そう思った通り、Bikeは駆け出しもよく、気付いたら目の前によしえさんが居た。時速27kmの目標から、次はよしえさんについていくことに変え、しばらく後に続く。しかししばらくして自問した。私はずっとついていくばかりでいいのか。もしここで少し踏み出せるのならば、先へ進むことが自分のハードルをひとつ超えることなのではないか。勇気を出して、よしえさんを抜いてみる。互いにかける声が心に響く。ここからはもう、自分でペースを維持していこう。雨が激しくなってきた。少し弱気になる。普段私は弱気になったら、どうしてたっけ。そうだ歌を歌うんだった。「負けないこと、投げ出さないこと、逃げ出さないこと、信じ抜くこと、ダメになりそうな時、それが1番大事。」そうやって心の中で歌っていると、気持ちが強くなっていく。うん。大丈夫。時折路肩が拓け、海が見える。沿道のボランティアの方の声援に元気をもらう。あ、仲間とすれ違った!なんだかしみじみと生きている不思議に感謝が湧く。そうやって前へ前へと漕ぎ続けていった。
-Run 10km-
駆け抜けたBikeが終わり、最後のRunへと突入した。これで完走が少し見えてきた。さっきまでの悪天候が嘘のように、晴れ間が覗く。しかしなかなか思ったように走れない。SwimとBikeの後のRunは、想像していたよりきつい。だけど、楽しむ気持ちも忘れていない。身体は重い。でも前に進める。そうやって少しずつゴールに近づくんだ。途中何度もエイドで水をかけてもらう。生き返る。ふとまわりを見渡すと、港の美しい景色。海の青い色。そして多くの人がゴールを目指し、各々の戦いを走り抜いている。トライアスロンって人生みたいだな。よし、最後までがんばろう。少しずつ少しずつ、ゴールが近くなっていった。すると、いつも朝のSwim練でご一緒させていただいている宮武さんが前方に見えた。「しおりちゃん!ゴールまで行くよ!追いついておいで!!!」その声に最後の力が奮い立つ。前へ。前へ。きつい。でも前へ。
-Goal-Result-
宮武さんを追うも、追いつけることはなかった。でも、その脚はより強く最後のスパートへ向かった。ゴールが見える。戦いが終わる。なんて楽しかったんだろう。自然と笑みが溢れ、ゴールテープを切る。私の初のレースが幕を閉じた。
結果は、
Swim 0:39:26 / T1 0:06:07 / Bike 1:18:41 / T2 0:02:52 / Run 0:55:05
のTOTAL 3:02:11 で年代別4位ということだった。1番練習していたSwimが遅かったが、おかげでただただ楽しく泳げたことで緊張がとけ、Bikeの快調さへとつながったのでよしとしよう。
初めてのレースを振り返ってみると、本当に楽しくあっという間の3時間だった。その楽しさは、たくさんの人に支えられている。友人、家族、仲間。そして良い大会を作り上げてきた大会本部やボランティアの方々の尽力。その思いや励ましの言葉、重ねて来た日々がここまで私を連れてきてくれたことを思う。
レースの途中、わたしはひとつ気になったことがあった。それはゼッケン番号である。857番。なんとなくゴロが落ち着かない。それに比べてよしえさんは880番。末広がりの8が2つも続いている。いいな。他の仲間の番号もなんだか良さそう。857番ってなんだろう。うーん。そんな風にしばし考えた時間があった。
あ!8は末広がり、Happyで、7はLucky7の7。そしてその間をGO!5だ!それはこうやって生きている幸せ、と幸運の間を歩むことのできる私たち。そんなことを思い出させてくれたトライアスロンを続けていきたいな。ゴールを経て見えた情景は、あたたかく、希望に満ちていた。
お世話になったすべての方への感謝の気持ちと共に、また新たな一歩がはじまる。
6/12(日)に行われた「IRONMAN70.3セントレア知多半島ジャパン」に青トラに入会して足掛け3年以上にもなる私と、入会1-2年の大阪青トラ会員の西田さん、須藤さんと3人で初挑戦&初完走してきました!!
私は練習ばかりしていて、青トラメンバーの中で、ステップアップがダントツに遅いと自他ともに
認めるところではございますが、今回は頑張ってミドルに挑戦いたしました。
お恥ずかしい限りですが、昨年まで、私はIRONMANブランドと他の大会の違いすら知らない
状態でした。
昨年の秋に「コンピュトレーナーによるペダリング解析」(彦井コーチ)に参加した際に、
翌週に「はじめてのアイアンマン」(彦井コーチ)の講習がテスラモーターズで開催されていたので、
何も知らずに面白そうなので流れで参加してみました。
そこで、初めてIRONMANブランドの存在を知り、もう日本ではセントレアしか開催されないようになると聞きました。
また、アドバイザーとして招かれていた青トラの鈴木さんから、キラキラ光る重厚なIRONMAN完走
メダルを見せてもらった瞬間に目がくらんでしまい、ちょうどミドル挑戦を目論んでいた私は、
迷う事無く(ただ知らないだけでしたが)セントレア出場を決めてしまいました。
一人では寂しいので一緒に参加するメンバーを募り、私と同じ講習に出席されて、
同じように何も知らずにメダルに目がくらんだ仲間の(須藤さん)と一緒に参加する事にしました。
また、大阪の青トラ会員の西田さんにも、東京出張の際にスイム練習に参加されていた時に、
IRONMANブランドの話をして仲間になってもらい、良くわかっていない者同士の3人で情報を
共有しながら、初ミドルであるセントレアの大会にのぞみました。
ミドルに向けたバイク練習で、今年の3月に初めて渡良瀬遊水地で90Kmのタイムトライアルをした時、お尻が痛いレベルを通り越して、尿道を圧迫して排泄にしばらく苦労する事態に陥りました。
先端が割れているサドルはこういう事態にならない為にあるんだ!!と理解し、速攻で
ISM(ADAMO)のTIMTRIALというサドルを購入しました。
LUMINAにも、骨をひっかけて乗るって書いてありましたが、坐骨をサドルのどこに引っ掛けるのかは
いまだに不明ですがが、取り合えず90Km全力で乗っても、痛みも無く不自由しないようになった
だけでもラッキーだと思い、バイク練習にも力が入りました。
他にも、レースでは初めて使うDHバー、サドル下のボトルゲージ、トップチューブにエナジーバック
(弁当箱)も取り付け、ミドル対策ってこれぐらいで大丈夫なのかな??と疑問を抱えながらも準備を
進めて行きました。
伊藤さんの手記を参考に化学反応が起きないように、ウイダーインゼリー等を配合する秘策のボトル作成にも挑戦しました。
更に心配性の私は、開催一週間前に公開された詳細版の大会パンフレットの中に、「太いタイヤ」に
交換して来るように書いてある所を見つけ、「太いタイヤ」って何??とチョー疑問が湧き、青トラの
師匠である阿部さんや、バイク王の大塚さんに聞いてみると、700-23C以外に700-25Cというサイズのタイヤがあって、その事だと教えて頂きました。
実際に装着している阿部師匠からのコメントで、乗り心地が全然違ってクッション性やハンドリングがすごく良くなると聞き、迷わず購入しました。
他にも、パンフレットには、信じがたい写真が多数掲載されていて、ホントにここをバイクで走るの??と思える個所が多数あったので、
昨年セントレアで大活躍の青トラ3人娘さん達に聞いてみると、「そうそう、平井大橋での技術練習みたいなところがあるよー!!」と聞いて、えっ!!レースコースにそんな特設コース等があるんだと
再び驚きました。
ランのコースも驚愕で、堤防の階段は狭く「一人ずつしか通れないので渋滞するのよね--!!」とか、
「すごい山道を走ったよ--!」とか聞いて、階段?渋滞?山道?おまけに歩道橋も渡るコース
レイアウトにまでなってました。果たして完走できるのか??と言う不安がよぎりはじめました。
レース会場では、大阪から参戦の西田さんは近距離なのに金曜日からセントレア入りする気合の入れように驚きましたが、土曜日に無事会場でお会いできとても心強く感じました。空港でバイクを組み立てたり準備にモタついていると、後から新幹線で来た須藤さんにも追い抜かれて、バイクのセッティング会場には、最後に到着してしまいました。(レースが始まる前からおいてけぼりとなり、この先大丈夫かな??と若干不安になってきました)
バイク機材を慌てて取り揃えたのは、須藤さんも一緒で、「先週自分で取り付けたばかりのDHバーがカタカタする--!」と言っていたので見てみると、取り付けネジがかなり緩んでました!!前日に対応できて本当に良かったです。
さて、いよいよレース本番です。シャトルバスで会場に着く直前に左足に巻いたアンクルバンドのベルトがチクチクと痛くなってきて気になったので、須藤さんに「チクチクしない??」と尋ねると、お茶目な須藤さんは「あっ!!、アンクルバンドをホテルに置いてきちゃった--!!」との発言。えっ!!と驚き、共に焦ってしまいました。
でも、いつも青トラエイドステーション(ブログ)を読んでいる私達は、遠藤さんの「アンクルバンド無くしちゃった手記」を思い出して、「大丈夫!!大丈夫!!、遠藤さんの時のようにたらい回しの目にはあっても、事務局に尋ねると何とかなるよ!!」と
言って励ましあいながらも、若干の心配が!!おまけにトランジット閉鎖ギリギリに到着したので、「まずは、補給食だけはバイクにセットしないとハンガーノックになっちゃう--!!」なんて言いながら慌ててセットした後、「アンクルバンド忘れたんですが、どうしたら良いですか??」と急いで事務局に駆け込み、2、3回のたらい回しの後、ようやく前日アンクルバンドを配っていた親分肌の外国人の女性にたどり着き、再発行してもらって事なきを得ました。(良かった、良かった)
ようやくスタート出来ると思ったら、雨がザーザー降ってきて、「バイクは落車が心配だね--!!」と
言いながらスイムスタート地点へ行きスタートしました。
ここで、私はまたしても、第1ブイを回る前に過呼吸となり、とても泳ぎきれない!!と思うくらい
ぐったりとなり、死んだ魚のようになってしまいました。去年の横浜でも同じ失敗をしておきながら
学習機能が全くなかったようです。後でガーミンの心拍数をチェックしたら、見事なバスタブ型の
心拍数の曲線となってました。
バトルに負け海でたくさんの人に敷かれたあげく、回収ボートが近くにいないかときょろきょろと
探しましたが、近くには誰もいないし、諦めて岸辺に進路を変えゆっくりと泳ぎだしました。後から
カヌーのお兄さんが「あんまり岸辺によると危ないですよーっ!」と注意されながらも岸辺と並行して泳いで行きました。そのうち何とか泳げるようになってきたので、後半はスピードを上げて行き、ゴールの海岸が見える頃には、全力で泳いでいました。
岸に上がったらヘロヘロになっていてウエットスーツが自分では脱げないぐらい疲れてしまい、
着替えルームのベンチに座ってしばらく休憩し、T1では10分以上かけてようやくバイクスタートが
できました。
心配した雨も上がり、路面は水溜りが少しあるものの、ほとんどドライコンディションになっていました。
ここで交換した「太いタイヤ」が早くも大当たりで、工業地帯の道路の轍や荒れた路面でもハンドルに
くる振動が少なく、どんどん踏めました。本当は、ランに向けて足を温存する為に、「踏んじゃいけない、踏んじゃいけない!!」と思いつつも、楽しくて楽しくて、いつしか全開モードになっていました。
4周回(60Km)のフラットなコース部分のアベレージは32km/h以上で走ってました。
技術練習ポイント(10Km)近くの段差でボトルと工具を落っことし、取りに戻ったりしながら、残りの山岳コース(20Km)に突入しました。
山岳コースは常に加速、減速、Uターン、直角カーブ、登り、下りの連続が延々と続くトリッキーなコースでした。ここでも「太いタイヤ」のおかげで、とても安心して楽しく走らせて頂きました。
気がつけば、T2まで事故やトラブルも無く着いちゃってました。あとは、ランだけなので、歩かないで
ゴールまで走るだけです。給水ポイントでは食べ物と飲み物を同時に摂る事が難しい事は、ウルトラ
マラソンで経験済みでしたので、水は持って走りました。荷物にはなりますが、好きな時に水が飲めるのはやっぱり嬉しい限りで、給水ポイントでは食べ物だけを頂き、走りながら食べて、のどが詰まったら持ってる水を飲む事を繰り返し、ずっと走り続ける事が出来ました。
ここで、バイクパートで私をぶち抜いていった有名どころのチームジャージの選手のみなさんを、何人も追い越して行けたので、凄く快感でした。私は、あまり速くはないのですが、休まないで走るので、他の選手が歩いていたり給水ポイントで立ち止まって補給している隙に、スタスタと追い越して行きますが、抜き返される事はほとんどありませんでした。
山を降りて、海が見える絶景ポイントが過ぎてからは、小出監督の言葉通り、「後半が一番速いペースでゴールする!!」をモットーにラストスパートをかけ、漁港みたいなところを気持ちよく走りました。ここで沿道の観客から、「青トラ、ファイト!!」の声援を受け、更に火がつきました。(嬉しかったです)バイクもランも折り返しのコースが多く、青トラメンバーともすれ違う機会がたくさんあって最後までモチベーションを維持出来ました。ゴール直前で一木さんを見つけて、何とか折り返しですれ違う事が出来るように、かなり一生懸命に走りました。その時がMAXスピードだったと思います。
無事に声をかける事も出来たので、後は、村上さんから教わったように、少しペースを落としてジャンプの練習を2回ほどコース上で行い、前後の選手との間隔を測りながら、ジャンプフィニッシュを決めて見ました。ジャンプフィニッシュは2回目で、前回より少しだけ高く飛べるようになってました。
タイムは予定より1時間ぐらい早いタイムでゴールできて、自分ではとても満足しています。
(5時間41分53秒)
西田さんも須藤さんも無事ゴールできて、3人で完走メダルを無事にゲットする事ができました。
しかしメダルを良く見ると、「ん??、四角形??陶器??木枠??」、常滑焼の一風変わった
完走メダルでした。「キラキラの重厚なメダルはフルのIRONMANに取っておこう!!」を合言葉に、
ロングに向けてこれからまた皆様にも色々とアドバイスを頂きながら、一緒にチャレンジする
初ロングの仲間を増やして行きたいと思っています。